ミクロとマクロの行き来

東北産の無料ライブに行った。ひたすらに暑かった。暑過ぎて、どうかなりそう。

ミクロとマクロを行き来する、そのことをどう考えるのか、というのがある。マクロというのは構造。ミクロというのはどこか細かい点に対するこだわりなのだと思う。

例えば、アイドルが踊っている。踊りを構造的に見れば、大きなパートに分かれている。そもそもアイドルの振りはシンメトリーを基本としている。そういうところに目が行く。シンメトリーは西洋のダンスにおける基本的な振り付けの要素だった。足跡がシンメトリーになること。それは、見た目には分かりにくいが記譜することで抽象化したら分かるようになる。アイドルのダンスはシンメトリーからシンメトリーへのプロセスであると言うこともできる。

一方で、ミクロな世界では、手を挙げる仕草でどのようにひじを伸ばすか、その伸ばし方の美しさみたいなものが問題になってくる。伸ばし方の癖がどのように見えるのか。と細かいところに注目していくことになる。Appare!ではすずさんが好きなのもそうだろう。また、別の括り方では、グループの中で腕を挙げる動作がどのように揃っているか、というところを見ることになる。誰だったか、映画でラインを合わせることに並々ならぬこだわりを見せている、という話もあった。そのこだわりを解きほぐしていく。そのこだわりは、ある意味で享楽につながっているのかもしれない。今日は美海ちゃんのツインテールがぴょんぴょん跳ねていて、その様子がとてもかわいかった。さあやさんに目が止まったのも、頭を回す振り付けでぐるんと髪の毛が回る、その感じが良かったところもある。僕の趣味は「頑張っている感じ」なのだと思う。また、それはマクロな見方にも言えることなのだと思う。

物事を見るときは、マクロな視点とミクロな視点を行き来する、たぶん、どちらに行っても享楽が関わってくる。何をどのように切り取るのか。何をどのように比較するのか。その行き来によって、物事の見方の深みが変わってくるのだと思う。速読はざっと構造を眺めることだった。精読はミクロな見方になるだろう。その行ったり来たりに、理解の深みが出てくるのではないかと思う。

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