歴史は現代の視点から作られる

暗黒時代から、ルネサンスを経てヨーロッパは経済的文化的な遅れを取り戻した、というところがあるらしいけど、そういうことを考えると、帳簿記法はヨーロッパで発展したのだろうか?という疑問が何となく出てくる。1202年にLiber abaciによってアラビア・インド数字が紹介され、それが広まっていくのがそれから200年以上経ってから(18世紀にも、ローマ数字とどちらを使うかの議論があったらしい)、数学的な意味では、アラビアに置いていかれてたのではないか。とすると、帳簿記法もアラビアの方が優れていた可能性はないのだろうか。

史料をもとに、というのもあるし、現在の複式簿記の起源を考える意味では、西洋の起源を探すところもある。記録、という観点では、メソポタミアのトークンが取り上げられることがある。トークンの仕組みを引き継いだものはないのだろうか。インカのキープは、複雑な情報も保存していた、という話がでできているようだけど、あれも、一種の記録として機能しているのだとしたら、帳簿記法の機能もあったのではないか。日本にも、独自の技術あるように、中東にも特殊な記録技術があり、それがヨーロッパに輸入されているかもしれない。

まあ、これ自体は妄想話に過ぎないけれど、何となく、歴史が現代の視点から作られる、ということを思い出させるものだと思う。

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