女子アナの専門技能とは 社外役員としての

女子アナの社外役員への就任が多くなっているという記事がありました。

記事では、社外役員になる女子アナが出てきていることに触れて、以下のようなことが書かれています。

 企業法務に詳しい渥美陽子弁護士が言う。

「女性弁護士を役員にすると、厳しい意見を言ってきて面倒だという声を聞いたことがあります。だったら同じ女性でも、華のある女子アナがいいと考える経営陣もいるのではないでしょうか」

別の記事でも似た内容が書かれています。

経済ジャーナリストの松崎隆司氏が、女子アナ登用の背景を解説する。

「東京証券取引所がガバナンスの視点から、2人以上の社外役員を選任するよう上場規則に加えたのは15年のことです。キッコーマンの茂木友三郎氏やオリックスの宮内義彦氏などの有名経営者や有名大学の教授、弁護士などが就任していました。しかし徐々に第三者を登用する意識が薄れ、なり手も不足し始めます。社長と仲がよく、対外的に見栄えの良い人が選ばれるようになったんです」

さらに女子アナ選任の原動力となったのが、政府が掲げた「上場企業の女性役員比率を10%にする」という目標だ。松崎氏が続ける。

「多くの企業が求めたのが、知名度が高く、高学歴で、華のある女性です。有名女性アナウンサーが選ばれるのは、自然の流れなんですよ。彼女たちには番組を通じて他企業のトップと人脈がありますし、企業を対外的に宣伝する広告塔としてもうってつけの存在ですから」

どちらの記事も、女子アナの登用は、ガバナンス強化ではなく、広告塔として外部へ見栄えを良くするためのもの、としています。

『”声”のプロフェッショナル アナウンサーの職能の変遷』(北出真紀恵)という論文では、初期のアナウンサーは標準語の伝え手であったが、だんだんと個性を求められるようになった、としています。しかし、個性化が進むことで専門性が揺らいでいきます。そのため、「よむ」「きく」「実況する」というアナウンサーの職能の再認識と、また放送ジャーナリストとしての職能が拡大していきました。その上で、「現在のアナウンサーは、基本的技能のマスターを前提とした上で、専門的知識と経験を積んだエキスパートとしての放送の送り手であることが要求されている。」としています。

社外役員と立場として、アナウンス技術はあまり役立ちそうにありません。とすると、「放送の送り手」という職能が役員として能力としてふさわしいかが議論されることになるのでしょう。強いていえば、IR能力ということになのでしょうか。「きく」という技能は監査の基礎技能のひとつではあるのですが、情報分析技術などの他の技能が欠けるようにも思われます。

ところで、女性役員を登用したことで、女性を取締役に選んだ企業は、選任後の2年間、市場価値が下がったという研究があるそうです。

また、記事によると女性役員の登用は業績には影響はないようです(というより、そもそも役員の多様性拡大すら業績改善につながらないようです)。

女性取締役を選んだからといって、業績が悪化したわけではない。私たちの調査では、女性取締役の選任後、各社の利益に変化は見られなかった(増えても減ってもいなかった)。これは、取締役会の多様性拡大が業績改善につながる証拠はほとんどないという、無数の学術研究と一致する。

なぜ、業績に影響が無いのに、市場価値が下がったかという説明は、記事中では下のように書いています。

株価下落は、会社の優先順位の変化に投資家が反応した結果だというものだ。取締役会の多様性が拡大されたということは、会社が社会的目標に力を入れるようになり、株主利益の最大化を二の次にするようになった、と投資家は受け止め、株価下落というペナルティを与えたというのだ。

業績改善にならず、市場価値も下がるのであるならば、女性だから役員として採用することは、規制の順守以外にメリットがあまりないのではないか、という懸念がでてきます。つまり、女子アナの社外役員登用も、よい効果をもたらさないかもしれない、というおそれがあるのではないでしょうか。

私見ですが、男女問わず、会社経営に携わるものとしてふさわしい職能を有しているかを考える必要があるのだと思います。さらに言えば、そうした「経営に必要な職能の多様性」を「ダイバーシティ」と称する方が良いように思われます。CFOやCMOといった名称はそうした職能を有する人材へ名付けるものなのでしょう。

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