水清ければ

端的に言って、僕は不良が嫌いなんだな。

「私が飲みたいから酒を飲ませろ!」が接客なのだとしたら、もはやサービスなんてもんは何でもありだな、という感じがする。「私たちが飲んでるのを見るのがサービスだ」と言うのであれば、それはJK覗き部屋となにが違うんだろうか。

あちこちで慣らされてきているし、あっちゃこっちゃでやってきてるけど、やっぱり、飲ませる、とか一緒に飲む、みたいな不良性はよくないんだと思う。そもそも、酒を飲みながら働くなんてこと自体がよくない。やっぱり、そこは、譲っちゃいけない、というか、どこかで、一線を引かないといけないんだろうな。そこらへんに、私の規範性がある。

そういう時間の消費は、何かしらの「勉強」になるのだろうか、と考えたときに、ならないような気がする。その意味で、不良のたむろのようなものなのではないだろうか。僕は、勉強をすることに、いくらか重点を置いている。

まあ、でも、分からなくもないんだよな。ちゃんとすること、クリーンであることを昔より求められるようになって、閉塞感というか、気の抜きどころがない。だから、どこかで抜くところが必要で、そういう、はっちゃけることが許される場所、という需要はあるんだと思うんだ。水清ければ魚住まず、という感じでしょうか。

ここから先は

0字

私の個人的な身辺雑記

¥100 / 月
このメンバーシップの詳細

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?