冷静に考えて、情熱的に実行する
『こころの処方箋』の中の「努力で物事は解決しない」という言葉が昔から好きです。元はインドの思想家のクリシュナムルティの言葉らしいのですが、河合隼雄が語ると、すっと心に落ちるのが不思議なものです。
「解決などというものは、しょせんあちらから来るものだから、そんなことを「目標」にせずに、せいぜい努力でもさせて頂くというのがいいようである。」と書いています。努力をしても何かしらの解決にならないこともあり、「努力で物事が解決する」と考えると、辛くなってくる。そうではなくて、精神の安定のためにも、努力はさせて頂いて、解決が来たら、まあラッキーくらいの感じでいた方がいいのでは、というわけです。
思うに、解決は外的な要因があったり、努力を免罪符にしていたり、解決をしようと思っているけれど、それにたどり着く「直接的な努力」ができない要素がある。だから、自分の頑張りだけではどこか限界があるわけです。
森岡毅はマーケティングの話の中で「確率の神様」という話をします。数学的なアプローチで、可能性の高そうなところを見つけ、そこをどう攻めればいいのか考えて、情熱的に実行する。確率の高いものに、労力をすべて注ぎ込む。
野村監督も著書で、経験から、コースと球種を限定することで、打てるようになる、と書いています。これも、確率の高いところを見極め、そこに全力でバットを振る訳です。
当然、確率や経験は絶対ではないです。だから、失敗することもある。その時に、努力は報われない、と思うのかと言えばそうでもありません。たまたまそうなっただけです。
かといって、努力をしなければ、マーケティングの狙い目や予想されるコースや球種が分からないわけですから、バットを振っても失敗する確率が高くなる。
努力というものは、それによって、物事の解決、要は成果が出るわけではないが、確率の高いところに、全力で突っ込めるように、できる限りの努力を行うことが、大切なのではないでしょうか。
冷静に考えて、情熱的に実行する。
まあ、この姿勢がなんでも大丈夫なのかな、と思っています。
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