再会の場所

劇場の、チケットに記された席に座る。Eの5。階段の横の、端の席。真ん中だと、なんとなく横が気になるので、いつも、端を選ぶ。今日は珍しく、前の方の席だった。特に理由はないが、そういう気分であった。

まわりを見渡す。知らない人ばかり。目をつぶって、感覚を閉ざす。これから始まる劇のための集中。アナウンスの後、暗くなって、音が鳴る。俳優が出てきて、こちらへ向かって何かを叫んでいる。昔、みゆと見たあの演目が始まった。


演劇はみゆが教えてくれたものだった。大学の授業だったろうか、飲み会だったろうか、忘れてしまったが、たまたま隣に座ったみゆに、この劇団がおすすめだと教えてもらった。その日にチケットを取って、見に行った。舞台なんて見に行ったこともなかった。円形の客席に囲まれて、舞台がある。こういうものなのか、と感心していると、「何でいるの!?」と声をかけられた。満面の笑顔のみゆがいた。

舞台はよく分からなかった。でも、すごく感銘を受けた。バンドの不規則なリズムと俳優の不思議な抑揚による、崩された言葉のリズム。不思議な動き。現代的であり、音楽的であり、生々しかった。隣に座ったみゆの存在を忘れて、劇に没入していた。

舞台が終わって、ふたりで夜の街を歩いた。道端の柵に腰かけて、ふたり、お互いの好きなことの話をした。僕は音楽の話を。みゆは演劇の話を。終電になるから、僕たちは駅へ向かった。逆方向の電車。またね、と手を振って別れる。振り向くと、突っ立って、じっとこちらを見ていた。もう一度、手を振る。みゆが嬉しそうに手を振り返す。みゆに駆け寄って抱きしめればよかった、と電車に乗ってから思った。


それから、何回か一緒に劇を見に行った。そして、帰りに、他愛のない話をしたのだった。みゆと見に行く以外にも、1人で、いろんな劇団の作品を見に行くようになった。演劇は、僕にとっても趣味のひとつとなっていった。


みゆと些細なことで喧嘩をした。何が原因だったかは覚えていない。何か罵り合って、お互い去り、いつの間にかTwitterもブロックされていた。ショックだった。ふざけんな、とつぶやいて、こちらからもブロックしてやった。

みゆのことが嫌いになったわけではない。悪い感情もない。でも、喧嘩別れして、もはや会うことも無くなってしまったし、連絡も取ることもできなくなってしまった。


初めて見た時より、いろんなものが見えるようになった気がする。音、言葉、動き。舞台装置にも意味がある、とみゆは言っていた。椅子を担いでるのは、世の理不尽を担いでいるんだ、と言っていた。俳優が担いだ椅子を下ろし、それに座る。みゆはどう解釈するのだろうか。

見えるものが増えると、さらに分からなくなってくる。だから、何度見ても、演劇は分からないままだった。でも分からないのがいいと思う。音楽と同じで、演劇は刹那の芸術だ。流れて消える。その一瞬の移ろいが儚く美しい。


劇場の外はもう夜で、冷たい風がコートの内側にまで入り込んでくる。小さな街灯の光が、ぽつぽつと流れる人影を照らす。その先に小さく、丸い月が浮かんでいる。あの時もこうして月が出ていた。

みゆに教えてもらって、みゆと見たから、僕は演劇を好きになった。運命的な劇場での出会い。穏やかで特別なふたりの夜。それらが、僕を演劇へといざなった。

劇場は再会の場所だ、とみゆは言っていた。いつか、劇場で会うこともあるのだろうか。その時、彼女は許してくれていて、話しかけてくれるだろうか。僕は普通に接することができるのだろうか。

「神様だって、何もかも知ってるわけじゃないぜ?」

台詞がついと口からこぼれた。


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