保守主義と見積り

『会計学(二訂版)』(太田哲三・飯野利夫)には、保守主義について、「保守は個人的感情によって左右される傾きがあり、真実性の原則と反する」(2-11頁)と記されています。これは、過度に保守的である場合、公正な期間損益が計算されないためです。こうした、真実性に反する保守主義に性格を鑑みて、(注4)が設けられているのでしょう。

さらに、太田は「この原則は今日では、方法や見積について選択の余地がある場合に、保守的なものを採るという程度に適用されるべきもの」(2-12頁)としています。一方で『保守主義のジレンマ』においては、このような選択の余地はないとして「保守主義会計のパラドックス」があると指摘しています。

ところで、太田の保守主義の説明には、「見積り」についての言及がありました。「方法や見積について選択の余地がある場合に、保守的なものを採る」のであれば、方法は会計基準に沿った方法で行わざるをえず、保守的でない会計を採用する余地はありませんが、見積りについては、保守的なものを採用する余地があるように思われます。

新型コロナウイルス感染症に関連する監査上の留意事項(その2)』では、「会計上の見積りの合理性の判断を行う際には、企業が、見積りに影響を及ぼす入手可能な情報をもとに、悲観的でもなく、楽観的でもない仮定に基づく見積りを行っていることを確かめる。」と記載されており、悲観的でも楽観的でもない見積りがちょうどよい見積りのようにも読めます。
なお、その次に「監査人が、経営者の過度に楽観的な会計上の見積りを許容することや、過度に悲観的な予測を行い、経営者の行った会計上の見積りを重要な虚偽表示と判断することは適切ではない。」と記載しており、経営者は、楽観的であり、監査人は悲観的に見る傾向があるようにも読めます。
つまり、見積りは経営者と監査人それぞれに物語をもっており、それを照らして検討を行います。物語の筋、プロットをどのように組み立てるのかが、問題となってくるわけです。

楽観的/悲観的という言葉は恣意的です。どこまでが楽観でどこまでが悲観なのかは、語りてによって変わってくるのではないでしょうか。判断するのは読み手でしょう。では、読み手は誰か。ここで考えなければならないのは読み手のために書く人もいれば、読み手に作用するために書く人もいることです。

このようなことを考えていくと、見積りの前提となる物語はいかようにも書けるように思われます。そのために、保守主義を適用して「保守的なものを採る」必要が出てくるのでしょう。そこに、現代会計における保守主義の存在価値があるのかもしれません。

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