目的外の目的
手紙というのは、なんとなく書く人の性格が出るような気がして、いいと思っている。書き言葉は話し言葉の下に置かれることもあるが、言葉の曖昧さを何とかして止めようとする、紙面に閉じ込められた思いを感じるのである。
話し言葉の、その刹那的な性質とは違って、読み返すことができるという過去の立ち現れがある。
その意味で、過去、メイド喫茶・コンカフェで、手紙をもらいたいから大きいシャンパンを開けてきたところもあると思う。
というより、コミュ障だから、テキストベースでのやり取りのほうが楽だというところもある。パロールよりエリクチュール。
むいちゃんが20歳になった。この間まで高校生だったのに、アイドルやる前に飛んでたのに、いつのまにかアイドルをやっていて、続けていて、20歳になった。コルダからの縁。コルダで決定的にメイド・コンカフェから足を洗った訳だけど、その時の知り合いがちょこちょこいる。昨日・今日とボーイ名ばかりさんと連続で会った。巡り合う場所であり、別れゆく場所。人生が交錯している。
思えばアイドルのライブもそういうところがあって、アイドルを見に行くだけではない、そういう目的もどこかあるのだと思う。
本来の目的ではないところに目的がある。それも周縁の問題かもしれない。メインではないサブであること。しかし、それに良さがある。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?