第三次紛争?

アゼルバイジャンがナゴルノ・カラバフ共和国の武装解除を目的とする軍事的作戦の開始を宣言した、というニュースが。正直、よく知らなかったのですが、どうやら、アルメニアとアゼルバイジャンの戦いということのようで。YouTubeのゆっくり解説をいくつか見てざっくり概観を見てみました(ずいぶん、手軽に勉強できるようになりました)。

以下は、いくつか見たものの大まかなまとめ(と言うには散逸しているけれど)です。私の勉強のため。

アルメニアとアゼルバイジャンはロシアとトルコ、黒海とカスピ海の間のコーカサス地方、この小さな地方に様々に国があり、民族がいて、言語的にも複数の語族があるという、複雑な土地の様です。

アルメニアとアゼルバイジャンは元々因縁のある国の様で、ナゴルノ・カラバフの領有権争いをしてきたようです。元々、民俗的にはアルメニア人が多く、ただ、どちらも故地であることを主張しているようです。アルメニアはキリスト教、アゼルバイジャンはイスラム教であり、その点でも因縁があります。また、オスマントルコ帝国にアルメニア人を虐殺された因縁もあり、アルメニアはトルコを敵視しており、親トルコ国であるアゼルバイジャンを敵視していることもあるようです。

いろんな国に統治されてきましたが、独立してすぐソ連に編入された両国は、ナゴルノ・カラバフの領有権を主張しました。一度はアルメニアに属しましたが、翌日にはアゼルバイジャンに属することになる(ただし、自治権が与えられる)など、ソ連の決定が動いたこともあって、不満が残ります。

1985年にゴルバチョフがペレストロイカを宣言、民族自決を宣言したことで、アルメニア人が決定する、ということでナゴルノ・カラバフのアルメニア編入が求められます。しかし、これをソ連は許しません。ここで、アルメニアとアゼルバイジャンの民衆同士の争いが起きます。ソ連もナゴルノ・カラバフ地方を共産党直轄地にするなど停戦を図るものの、うまくいかず、争いは続きます。1991年にソ連が崩壊すると、アルメニアとアゼルバイジャン、ナゴルノ・カラバフ共和国(国際的には認められていない)が独立します。アルメニア(ナゴルノ・カラバフ共和国)とアゼルバイジャンの間で大きな武力衝突が起こり、1994年にロシアの仲介により停戦します。これにより、ナゴルノ・カラバフ地方とその他占領した地域をアルメニアが領有することになります。これが第一次ナゴルノ・カラバフ紛争です。

さらに、2020年に入り、小競り合いから再び紛争になります。これが第二次ナゴルノ・カラバフ紛争です。アルメニアの背後にはロシア、アゼルバイジャンの背後にはトルコがいるようです。第4次停戦合意まで経て、停戦、第一次ナゴルノ・カラバフ紛争で占領した地域をアゼルバイジャンへ変換する事、アルメニアがロシアがナゴルノ・カラバフ地方に駐留することなどで、停戦合意しました。

ちなみに、こちらの動画では、ウクライナとの戦争でロシアが疲弊しているから、第三次も起こるかも?と言っていて、予想が当ってしまっている、という感があります。


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