ルーツ

いぎなり東北産をしばらく聴いていて、名前につけてるのもあるけど、東北に根っこがあると思う。心はみちのくにある。どの程度地元で活動して地元のアイドルとして存在しているのかは分からないけど、とにかく、東北に根ざしている。

アイデンティティというものは、自分自身の存在が何かに結びついている、ということなのだと思う。僕は、故郷があるようで無いし、オタクであるという強烈な自我がある訳でもなければ推しのような特定の何かのために生きている訳でもない。方言のような、地域に結びつく何かも無い。現代的・都市的な、画一化された無個性。根無し草だと思う。だから、強烈に何かと結びついているものに憧れを持っている。方言に対するあこがれは、まさにその羨望から来るものだろう。

僕のオタクや推しについての話は、常に「存在」と結びついている。自分がどのように社会と結びついているか、という問題だ。社会に溶け込んでいるかいないか、という問題ではない。人としてどうやって生きていけばの問題である。どうやって立っているのか、という足元の確かさが、「存在」の問題なのだ。それは地域に根ざさなくてもいいし、趣味でなくてもいい。貴族は家を背負っている。家という十字架を背負っていると同時に、家がその人の「存在」を証明する土台なのだ。その「存在」が気品を産む。貴族的な美しさがある。

東北出身者は東北が心に根ざしているのではないかと思う。だから、東北出身者がいぎなり東北産を見るのと、外部者である僕が見るのと、たぶん全く違うものなのだと思う。雑な言い方をすれば心と情報。「存在」をたどる旅と、情報として受け取ること、そんな違いなのではないかと思う。

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私の個人的な身辺雑記

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