会計の方言と日本

「商業は文明の子、会計は文明の子、だから会計は文明の孫」
石川純治先生がウルフの言葉を引用して、たびたび著書に書かれているものです。どのような文明であるかにより商業の在り方が変わります。文明は、文化構造や社会構造と言い換えてもいいでしょう。会計は商業取引の言葉だから、商業の在り方に引きずられて変わっていきます。そのような影響の度合いを示しています。

会計が商業の言語ならば、商業によって言葉が変化していくのではないでしょうか。日本語でも、地方によって生活様式が違うために、言葉が少しずつ違っています。つまり方言です。そして会計言語にも方言がある、というのが自然な考えです。実際に、会社によって仕訳のやり方が違っているものです。会社という単位でも会計言語に方言があると言えるでしょう。
そのように考えると、IFRSにおけるカーブアウトというのは、自国の商業・文明に合わせた調整であり、方言化なのではないかと思います。そして、IFRSとは別の基準として設定されている日本基準や米国基準は別言語と考えられるのでしょう。

文明の単位としては、国家というものが考えられます。フランスとドイツの間には文化的に混じっている地域がありますが、それは語られません。地理的な事柄より、国境という人工的に作られた境界を文明の単位として考えます。特に、会計は国家の制定する税法の影響を受けますから、国家の単位を文明の単位として考えることは不自然ではないでしょう。
そして、国家とつながるということは、会計は政治とのつながりがあるということです。それは、国家ごとの会計の独自性にもつながる訳です。

戦国時代の方言は、藩の人間とそれ以外を識別する障壁としての役割を果たしていたといいます。それならば、商業の言語である会計を用いて、商業すなわち経済の障壁として用いることができます。IFRSの目的のひとつはブロック経済圏の形成でしょう。IFRSが設定された当時、EU圏内で上場するためには同等性の評価を受けなければなりませんでした。つまり、EU圏の方言になじめないものは金融市場に参加させないということです。IFRSは一種の参入障壁として機能しており、EU圏がアメリカの経済圏と対抗するための施策のひとつだったと思います。

日本の会計基準は戦前はドイツの影響を受けていたようですが、戦後は英米会計の導入がなされました。そのため、企業会計基準からしてちぐはぐなところがあるそうです。そして、近年はIFRSとのコンバージェンスのために新しい会計基準を開発しています。そのため、日本の会計基準は継ぎ接ぎな部分が多々あるように思われます。また、特に近年の基準は翻訳したものであり(例えば『収益認識基準』はIFRSのほぼそのまま翻訳です)日本の独自の会計基準というものはあまり無いように思われます(グローバルな流れ、といえばそれまでですが)。
会計が商業の言語であるならば、戦後の日本の商業は英米の言語のRule(規則)に乗っかっていることになります。日本は英米の経済圏に入ってるとともに、英米の経済にRule(支配)されているということでもあるのかもしれません。
日本は日本に合う方言があるのでしょうから、日本の商業ひいては文明に合う言語を獲得したいものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?