努力について

何かを頑張ることにより何か成果を得ようとする。努力することによって何か対価があるような感じがする。まあ、そういう投下資本回収期待のようなものがある。コスパ思考なのかもしれない。

僕はむしろ努力は頑張るというよりは何かしらを続けることだと思っている。頑張るというのは一時的なところがある。波があるから頑張っている状態が生まれる。そうではなく、常に続けること。やることについて波を作らない。むしろルーティンにしてしまう。習慣的に何かを行うこと、それが努力なのだと思う。

とにかく何かしらを続けること、それを努力だとしたが、そこに対価を求めるべきか、ということが問題となる。確かに。何かしらができるようになりたい、こうなりたい、というところに何かを始める動機がある。しかし、動機と作業は分けて考えた方がいいのではないだろうか。続けることはあくまでも作業であって、動機を問題としない。ということは、コストに対するパフォーマンスを問題としない。続けることそれ自体が目的となるのだ。成功しなければ、となると緩んでしまう。変な力みが出る。続けることそれ自体が重要なのだ。

努力は頑張ることではない。淡々と続けることである。そして、それは対価を求めるのではない。プロセスそれ自体が努力なのである。

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私の個人的な身辺雑記

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