きらら姫とこまき

きらら姫は自分のことを木だと思っていました。
「わたしは木!木だから!」
そういうと、きらら姫は庭で手を広げて悠然と立ちました。広い庭、芝生の上、風がそよいで、髪がさあさあとゆらめき、蝶がチョンと手の上で休みます。
「姫はきらら姫です!木ではございません!」
こまきが声を張り上げます。
きらら姫は、静かに、悠久の時間の中で答えます。誰にも聞こえない声で。
風になびいて、枝葉がゆれて、さわさわと心地良く、遠く生垣の向こうに山の端が雲を携えています。

次の日は、きらら姫は魚でした。
大きな大きなお風呂の中を、悠然と浮かんでいます。こまきがお湯の中に足を入れると、さっと逃げるように、あちらへと泳いでいきます。そして、また優雅にたゆたうのです。きらきらと水面は光、海原に波は穏やか。ギラギラとした太陽の代わりに、煌々とランプが光っていて、じりじりとこまきを照りけるのでした。

メイドのこまきは思います。きらら姫は毎日別の何かになっている。きらら姫はきらら姫自身になれてないんだわ。きらら姫はわたしじゃないの。
わたし。わたしってなんだろう。きらら姫はわたしにとってはお姫様で、だから人間の女の子なんだけど、きらら姫は木になったり、鳥になったり、空になったりする。わたしのお姫様は、お姫様ってだけじゃないのかしら。
こまきは、そんなことを考えながら、きらら姫の髪をすいて、結っていきます。三つ編みのきらら姫は、くすぐったさそうに笑っています。
こまきは、きらら姫は奔放で自分勝手なように見えて、色々な役割に抑圧されているのではないかと思い始めました。木だから!と言って、じっと立ち尽くして、雨が降っても風が吹いても立ち尽くして、それでも、わたしは木なの!と立ち尽くしている。木にならざるを得ないんだ。他の何かになるしかないんだ。
そんなきらら姫をやわらかく見つめて、こまきは頭を撫でます。
きらら姫はわたしというわたしがない、空洞になっている。だから、わたしが、きらら姫の空洞を埋めてあげたい。きらら姫はきらら姫なんだよ、と言ってあげたい。でも、わたしってなんだろう?こまきはこまきなのかな?こまきって何だろう?
こまきは、こまきのことを考える。こまきのことを。こまきは、お父さんとお母さんの子どもとして生まれた。8月20日生まれ。獅子座のO型。こまきという名前は、死んだおじいちゃんがつけてくれて、おじいちゃんの好きだった『花の並ぶ街々』という小説に出てくる女の子が由来になってる。
小説のこまきは活発な女の子で、街中に花を飾って、みんなを笑顔にしていた。おじいちゃんは、そんな活発な女の子に、みんなを幸せにして欲しい、という思いで、こまきと名付けたんだって、お母さんが言っていた。
現実のこまきは、学校では物静かで、男の子に意地悪されて泣いちゃう女の子だった。運動は苦手だったけど、バスケット漫画に影響されて、バスケットクラブに入ってた。中学に上がると、漫画にもっとのめり込んだ。少女マンガの王子様に恋をして、王子様とのデートを空想をしていたな。
王子様に憧れてたから、わたしも姫になりたかったけど、きらら姫に出会って、本当の姫ってこんなにかわいいんだ!って知った。こんなかわいい姫のお世話をしたい!だから、きらら姫の御屋敷に応募をして、メイドさんとして働けることになった。
知らなかったんだけど、きらら姫は、いろんなメイドが来ては、去って行ってたらしい。わたしは木なの!と言って困らせるから。そんな理由で。でも、わたし、こまきは分かってきた気がする。きらら姫は、困らせたいんじゃなくて、きらら姫はそうじゃないと生きていけないんだって。
きらら姫は、なんでもいいから、自分の役割を決めて、そういう風にありたかったんだって思う。わたしは、きらら姫のためにここにいるけど、きらら姫は、きらら姫でしかなくて、でも、わたしってなんだろう?って思った時に、きらら姫はきらら姫でいられなくなった。
だって、きらら姫は姫っていうだけで、それ以上でもそれ以下でもないんだもの!旦那様と奥方様の愛を受けて育っているけど、それでも、旦那様も奥方様もお忙しいから、わたしというメイドがいる。きらら姫は、きっと寂しかったんだ。だから、きらら姫として、きららとして愛して欲しかったんだ。
だから、わたしが愛してあげるんだって、いっぱいいっぱい愛してあげるんだって。そう思ったの。こまきは、こまきのことはよく分からないし、結局、わたしってなんなのか分からないけど、わたしは、きらら姫がいるからこまきとしていられるんだって思う。
だから、きらら姫はいろんなものになることで、きらら姫としていられるんだと思う。でも、いつか。こまきがいるからきらら姫がきらら姫でいられる、そんな関係になれたら。そんなことを思う。きららちゃん、て呼んで、一緒にショッピングしたり、映画を見たり、遊園地に行ったり。

その日から、こまきは、きらら姫の遊びに、真剣に付き合うようになりました。きらら姫を否定せず、きらら姫に寄り添えるような役柄を見つけて。

「わたしは木!木だから!」
今日はまた木になるきらら姫。
では、わたくし、こまきは木のお世話をする妖精です。と言うと
「ダメ!こまきはこまきなの!」
「こまきは妖精ではダメですか」
「こまきはこまきだからいいんだよ。こまきはずっとわたしのこまきでいて?」
きらら姫は、自分で言った言葉に少し驚いているようでした。こまきは、そんな様子を愛おしく思い微笑みました。
「きらら姫、わたしはずっと、きらら姫のためのこまきですよ。」
こまきはやさしくきらら姫に語りかける。
きらら姫は、枝となった手をこまきに巻きつけ、幹となったその体をこまきに預けます。
「こまき、ありがとう。」
そのまま、ふたりはしばらく抱き合っていたのでした。

ふたりで抱き合った日から、きらら姫は何かになることが少なくなりました。代わりに、こまきに何かをしてもらうようになっていきました。
「こまき!木になって!」
こまきは、木のように腕をあげ、じっと立っています。
きらら姫は、その腕にブラさがって、木と戯れます。
「きらら姫、重たいですぅ。」
「木はしゃべらないよ。」
しなる木に、きらら姫はぶら下がったり、抱き着いたりして遊んでいました。

「こまきは魚だよ!」
こまきは、浴槽でわちゃわちゃと泳いています。きらら姫は、網を持って、こまきを掬おうとしますが、大きすぎて、うまく入りません。
「うまく、入らないなー」
「きらら姫、もっと大きな網が必要ですよ」
あっぷあっぷしながらこまきは答えます。
「魚はしゃべらないよ?」
きらら姫は、捕まらないねー、と笑いながら、私も魚になる!と言って、泳ぎだしました。きらら姫とこまきは、海の中を並んで、しばらくの間泳いでいました。

こまきは、少し困りながらも、いろんなものになっていました。その遊びの中で、きららはこまきにずいぶんとスキンシップをしてきました。手を繋いだら、抱きついたり。そして、こまきも、愛おしく、それに応えていました。

そうした様子を見て、きららの両親は、きららが楽しく遊ぶようになった、と思いました。よく分からない「ごっこ遊び」をしてお付きの者を困らせ続けていたけれど、こまきとは楽しく遊んでいる。きららは成長した、とさえ思っていました。

ある日の舞踏会。
これまで、きらら姫は一度も出たことはありませんでした。両親の言う、「謎のごっこ遊び」をされては困るから。でも、落ち着いたから、ごっこ遊びがあまりでなくなったから、きらら姫を出してみようということになったのでした。
こまきが、一緒に出て、何かあった時は対応することとなっていました。
こまきは、きらら姫から少し下がった位置で広間に出ていきます。楽団の音楽が軽やかに流れて、それに乗って談笑が聞こえてきます。きらびやかなシャンデリアがひとつふたつみっつと並んでいて、煌々と明るく、フロアで踊っているたくさんのカップルを照らし出しています。何組もの男女が、音楽に揺れて揺られて揺蕩って、波のように、リズムをとっています。壁際に配されたテーブルには、料理と談笑を楽しみながら、ダンスを見ている人たち。紳士たちの黒と白の正装に、貴婦人たちの色とりどりなドレスが、点描画のように、しかしそのブツブツは不気味に揺れていました。
きらら姫は、アリの巣みたいだね、とこまきに近づいて、こまきのドレスを握ります。
おびえた表情のきらら姫の肩を、こまきはなでながら、大丈夫ですよ。みんなスイカですから、とささやきます。
舞踏会の前に、いっぱい人がいるだろうけど、みんなスイカだから、大丈夫、きらら姫は、スイカのお姫様だよ?と話していたのです。
「きららはスイカのお姫様だから大丈夫」

椅子に座り、きらら姫とこまきが、ぼーっとダンスを眺めていると、ひとりの男性が近づいてきました。若くて、淡彩な顔立ちの彼を見て、きらら姫が「スイカの王子様」とつぶやいた気がしました。彼は、こまきの前で一礼をします。
「お姫様こんにちは」
「お姫様はこちらのきらら姫ですよ」
こまきが返すと、きらら姫は「こまきもお姫様だよ?」と言いました。
「わたしは一介の従者です。なんの御用でしょうか?」
こまきは少し警戒しながら、彼と話します。
「わたしと踊っていただけませんか?」
「いえ、ですが、わたしはきらら姫の従者ですので」
「わたしのことはいいから、踊ってきていいよ?」
「ですが、きらら姫、」
「こまきも踊ろ?」
こまきが困っていると、「きらら様もこのように仰っていますので、是非に」と手を差し出します。こまきは、観念して、手を取り、フロアに出ていきます。
間近で見ると、本当にきれいな顔をした方だな、とこまきは思います。こんな人に見染められたのかしら、と思ったら、こまきは年頃の娘らしく、すごく恥ずかしいやら照れくさいやら、いろいろな感情で顔が火照っていくのを感じました。これが幸せなのかもしれない。ゆっくり揺られながら、微笑む彼の顔越しに、きらら姫が、胸元に手をやって、痛そうな表情でこちらを見ているのが見えました。ガンと頭を殴られた気がしました。
「スイカの王子様」
「スイカ?」
「きらら様のそばをあまり離れるのも良くないので、これで失礼いたします。」
こまきは、スイカの王子様のもとを離れて、きらら姫のところへ戻りました。
「疲れたから帰る。」
きらら姫は、そう言って帰っていきます。こまきもお供をして、広間を後にしたのでした。

翌日、きらら姫は、こまきが話しかけても、ぼーっとしているだけで、何も話しませんでした。次の日も、その次の日も、ぼーっとしていました。
そしてその次の日。スイカの王子様から、こまきに会いたいという手紙が来ました。
きらら姫は、悲しそうな目で、こまきに「会いなよ」と言います。好きなんだから、とも。こまきは、チクッとした心の痛みを感じながら、穏やさを装って言います。
「きらら姫。わたしは、きらら姫のそばにおります。なので、会いには行きません。」
「そんなこと言うこまきは大嫌いだ!」
そう叫んで、きらら姫は自室に閉じこもってしまいました。

しばらくして、こまきは、きらら姫の部屋に食事を持っていきました。そういう理由で部屋に入ったのです。真っ暗な部屋。開いたドアの光が静寂を切り開いて、ドアが閉まるとともに静寂に切り刻まれて、また闇に戻ります。締め切られたカーテンの薄明かりが、かろうじて、ベッドの上のきらら姫と大きなぬいぐるみを映し、ぬいぐるみを抱きながら、横になって、じっと横になって、起きているのか寝ているのか分からないきらら姫に、こまきは話しかけます。
「きらら姫、お食事です。」
返事はありません。
「きらら姫。聞いていただけますか?」
返事はありませんが、こまきは続けます。
「私は、あなたのそばにいたいと思っています。これは噓ではありません。心底そう思っているのです。あの、スイカの王子様のことは、何とも思っていません。たしかに、すごくキレイな方だったので、ドギマギしましたが、でも好きだとかそういうことではないのです。」
「本当に好きじゃないの?」
きらら姫のか細い声。
「そうです。」わたしはきらら姫のこまきだから。
「なんかね。」
「こまきが嬉しそうに踊っているのを見て、なんか、わたしなんてこまきと一緒にいちゃいけないんじゃないかって思った。こまきは、わたしのためにいっぱいいろいろしてくれてるけど、わたしは何もできないし、でも、スイカの王子様ならこまきを幸せにしてあげられるんだって。わたしじゃ困らせるばかりだけど、スイカの王子様なら幸せに、幸せに……」
段々と鳴き声になり、最後は嗚咽が混ざりながら。
こまきは、きらら姫のもとに駆け寄って、泣きながら、きらら姫を抱きしめて、言いました。
「こまきは、きらら姫と一緒に居られて幸せです。だから…だから……そんな悲しいこと言わないで……」
ふたりは、しばらく泣いて、泣いて、はにかみながら、また抱き合ったのでした。

しばらく、きらら姫は探し物をする遊びをするようになりました。
宝物探しといって、家中を探し回ります。ここかな?と言って箪笥を開けてのぞいて、無いね、とこまきに笑いかける。お風呂に潜ってみたり、庭の木に登ったり。こまきは、一緒に潜ったり、登ったりすることもありましたが、見てて!というきらら姫の言葉の通り、きらら姫を見ていることが大半でした。その後、こまきも見て来て?と言われ見に行くこともありましたが、大体は、きらら姫が探して、こまきが見守るものとなっていました。
でも、いつも宝物は見つかりません。見つからないけど、きらら姫は、楽しかった、と満面の笑みで言うのでした。

こまきのもとには、あのスイカの王子様から何度も手紙が来ていました。手紙には、もう一度会いたい、ということが書かれていました。そして、そのたびに、こまきは、わたしはきらら姫の従者であるから、あなたには似つかわしくないので、お断りをします、と返事をしていました。スイカの王子様は、わたしの何が気に入られたのかしら?不思議に思いながらも、あの端正な顔立ちの彼に気に入られていることは、素直にうれしくもありました。
ある日、こまきがお使いに出ていると、偶然にも、スイカの王子様を見かけました。やはり、素敵なお方だな。こまきは心がじんわりとあたたかくなるような気がしました。彼は女性をエスコートして建物の中へと入っていきます。なんとなく、こまきは胸のざらつきを感じました。
それから、こんどは、こまきがぼーっとする番でした。きらら姫の宝探しは続いていますが、こまきは、見守っているときにふと彼のことがよぎってしまって、もやもやと、何にこんなにもやもやしてるんだろう?と考え込むようになったのです。
そのたびに、こまき見てるー?というきらら姫の無邪気な声で現実に引き戻されていました。

今日は、こまきの宝物を探そう、ときらら姫は言いました。
こまきの宝物と言っても分かりません。でも、とにかく宝物を探すために、こまきの部屋に行きます。こまきは、日ごろ大切に使っている母からもらった櫛や、自分の好きな本、アクセサリーだったり、いろいろと出してみては、これがわたしの宝物です、ときらら姫に見せます。でも、きらら姫は納得してくれない。きらら姫が宝物でしょうか?それも違っていました。お母さん、お父さん、祖父母や妹、親友。いろいろ挙げていくけど、きらら姫は納得してくれません。
困り果てたこまきに、きらら姫はこう聞きます。
「こまきは何が好きなの?」
こまきは答えます。物語が好き。恋愛のものが特にお気に入り。きらら姫と遊ぶのが好き。きらら姫の笑顔が好き。お母さんと一緒に料理をしたりお話したりするのが好き。お母さんは、お母さんのにおいがする。その匂いが好き。お父さんと買い物に行くのも好き。お父さんは私にいろんな世間のことを教えてくれる。妹とゲームをするのも好き。本や漫画の話もしたわ。しばらく会えていないけど元気かしら。草のにおいが好き。秋ごろの日差しがすき。紅葉に降り注ぐ日光が好き。
一通り挙げるまで、きらら姫はニコニコしながら聞いていました。そして、きらら姫も、自分の好きなものを挙げていきます。
そして、きらら姫に導かれるまま、楽しい事、嫌いなこと、されてうれしい事、悲しい事、子どもの頃なりたかったもの、いろんなことを言い合いました。
こまきは、わたしってこうだったんだ、と知らない自分に出会っていく感じがしました。わたしのことが、やっと分かった気がしました。

次の日。こまきのもとに、スイカの王子様から手紙が来ていました。こまきは、手紙をそっと胸に抱いて、一度会ってみようと、そうしようと思ったのでした。


Fin


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