差異は個性

僕は、まあ、出来ないことはできないんだからしゃあないやん?一応努力はしてみて、それでもダメなら別の方法を試そうぜ?というスタンスでいます。

そして、大抵、自分が出来なくて悩んでたり、コンプレックスになっていることは、普通の人と違っている部分になる事が多いように思われます。普通の人と言っても、コミュニティの中の普通、それも、想像でしかないわけですが、とにかく、普通を考えて、それと自分の違いを思い悩むわけです。

ですが、そうした短所は、ひっくり返って長所にもなっている場合が多い。なので、それが活かせる場なり方法を編み出せばいいのだと思います。そして、そのためには、「私はこういう時にこうしがちで、だからこういう場合には苦手なことができることが多い、だからこうやってみよう」とか「こういうことはどう頑張っても克服できなかった、誰々が得意だから頼もう」という分析がいるわけです。この分析は、自分をよく知る他人がやっても良いのですが、とにかく自己分析が必要である。

「出来ません!ごめんなさい!だから別の形で補うね!」くらいの軽いノリで生きる。その方が精神衛生上楽なのだと思います。

最近は、コスパやタイパが言われますが、そんなものは、一時凌ぎでしかないわけです。短所を補う努力は、一時的なものになりがちです。ずっと続けて、別の形で出来るようになる、ということもありますが、むしろ、短所と思われていることの方が長く使っているので、体に染みついているわけです。コーラを高く売る話のように、状況によって、短所が様々な捉え方になる。また、同じ状況でも、使い方次第でうまくいくことがある。その方法を考えるのが大事なように思います。

何であれ、積み重ねること。漆のように。そうして、美しいものになるのではないでしょうか。

差異は個性なのですから、差異をいかに良く見せるか、それがコミュニティにおける有益性を持つ生き方なのかもしれません。

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私の個人的な身辺雑記

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