情報によるやり取り
ツイッターがXになって、なんとなくアプリの見た目にも慣れてきてしまった。それでも、ツイッターとか、ツイート、リツイートという言い方が出てきてしまう。人は慣性の中で生きている。
いいね、という機能。昔はふぁぼだったけれども、これは考えなしに出来てしまう。動物的な即物性。東はオタクの消費を「データベースから抽出した要素の組み合わせ」と書いている(『動物化したポストモダン』)。オタクの社交は情報のやり取りとなり形骸化している。
いいねは、言語を使わずに、つまり考えずに記号を送る装置である。そこには何も意味がない。ハートが光るだけだ。Lineのスタンプなんかもそうなんだ。絵がある。何かしら情報を持っているけれど、言語的な複雑さは無い。
インターネット上のいいねやスタンプのような情報によるやり取りが、言語という記号の複雑性を遠ざけている感がある。はたして、それでいいのだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?