ブランドの民主化

ブランドを作る、ということをいろんな企業が頑張ってやっている。そんなかで、バズによる宣伝というものは、自己コントロールを離れていくということなんだと思う。すなわち、バズに頼るブランドは、そのブランドイメージの構築を手許から離してしまって、もはや民主化してしまっていると言える。

ということは、バズに頼るアイドルのブランドイメージは、ファンが自由に付けられるということも言えなくはない。つまり、いかに発信し、他者に受け取られるのか。運営がコントロールできない程の、「革命」を起こすことだって可能なわけだ。

これは、マルクス的でもあるかもしれない。権力とそれに対する民衆の革命。転覆である。

だからこそ、法治が必要なのだろうとは思う。民主主義は法治によって他者の利益の調整がなされ続けているから。「法は人と物とに対する力の帰属および行為に関して、社会が課しかつ強制する規範体系」P52であるとヴィノグラドフは『法における常識』で書いている。では、法は誰が作るのか、というところもあるが、それは、運営なのかもしれないし、革命による打破なのかもしれない。しかし、宗教革命によって司牧権力は打破されなかった。その意味で、大きな枠組みが変わらないところもあるのかもしれない。(『今を生きる フーコー』を参考にしている。)。対抗導きは枠組みの中での変革である。その意味で、アイドルとオタクの関係性の変化が起きることはない、と考えるべきなのだろうか。

よく分からなくなくなっていたので、まあ、終わりますが。ブランドの民主化ということを考えてみた、というところで。

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