データと物理

ニコニコ超開示というものが始まった。始まったというか、始まってしまった。サイバーアタックで流出した情報が半分、公開されてしまって、Vtuberや声優の個人情報、ギャラの情報、N高の個人情報まで、いろいろ出てしまっているらしい。

あーいうのを見てしまうと、データでの保存というのは絶対的ではないのだな、ということが分かる。対応していただろう会社で起きたのだから、対応していない会社が攻撃されたらどうなるのだろうか。また、政府の情報に攻撃が来たら、さらに被害は甚大になるのだろう。国家機密はだてに国家機密じゃないわけで、何でも開示していいものでもない。

こういうこともあるのだから、やっぱり紙での保存のほうがいいのではないか、と思えてしまう。電子は電子で便利だが、紙の物理的なアクセス可能性はネットと違う強度があるのではないかと思う。まあ、紙だとしても、物理的に盗まれる可能性もあるし、劣化や消失など、さまざまなリスクがあるわけで、例えばヨーロッパも日本も戦火で多くの史料が失われているし、重要だと思っていなくて廃棄してしまうものもある。

イギリスはかつてタリーという柳の枝の割符で記録を行っていたそうだ。国家の徴税記録がそこにはあったわけだが、いつまでも枝を使うなんて野蛮だということで、全て焼却処理されてしまったそうだ。その際、国会議事堂の暖炉で燃やしたそうだが、その火は建物に燃え広がって、全焼したらしい。そして、その再建費用は莫大であり、長くその負債が重くのしかかったそうだ。

まあ、何でも残せるわけでもない。ローマや京都は掘れば何か出てくるそうで、そんなところで全てを保存していては住むことができなくなってしまう。そこはバランスということにはなる。

とはいえ、データの利便性であるアクセスの物理的な制限からの解放とコピーの容易さが、今回の事件では完全に裏目に出ている。

DXは進められているが、なかなか難しいものである。

ここから先は

0字

私の個人的な身辺雑記

¥100 / 月
このメンバーシップの詳細

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?