他人と理解しあえるのか

某アイドルの配信で、「アイドル好きって言うと否定してくる奴がいる」というのが話題になってた。

アイドル好き、まあ、アイドル趣味はいわゆるオタク趣味の中に入ると思われるけれど、オタク趣味というのは迫害されていたものだった。僕の記憶が正しければ、AKBも出てきた頃は世間から「握手のためにCDを大量に買う気持ち悪いファンが付いたグループ」の扱いだったと思う。「握手でCD売ってオリコン1位を取った」という、裏技というかズルをしているような言われ方をしていた。それが続いて、テレビでも取り上げるようになって、だんだんブームになり、世俗化していった。

そういう流れがあるように思っているのだけど、今の若い人は、「自分の趣味は受け入れられるはずだ」という過度に多様性を求めている感じがする。多様性を求めるがあまり、批判する人を排斥しようとする、それは、過激なフェミニストのような、自己の主張のために他を焼き尽くす排斥的な行動に出るのと似ている。

多様性の時代は終わったと思う。

自分の好きなもの、文化、生き様は他人から理解されない、という前提で、それを侵害されないように、国境を引く、もしくは塀を作る、メキシコ国境のように、壁を作るのだ。

と僕は思っているけれど、配信者は人間大好きなので、ネガティブに反応する人たちを、「そういう一面がある」「それで排除したら(自分たちを否定的に断罪する人たちと)同じになっちゃう」として、否定をしなかった。そういうところを、僕は尊敬しているし、とはいえ、思想として、平行線なんだろうなぁ、とも思うのである。

それは「他人と理解しあえるのか」という問題なんだと思う。

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私の個人的な身辺雑記

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