見出し画像

JO1から距離を置く事を宣言した話。

私は以前、noteでこんな記事を書きました。

あれから約3ヶ月、今度は自分が同じような決意表明をするとは思ってなかったですね。まあ、そう言う事を考えていたからこそあの記事を書いたんだろうな、と今では思えます。

「JO1から距離を置きます、自主的にMVやテレビ番組を見たいと思えるまで」

ファンの『義務』とは何なのか。

MVの再生回数を稼ぐ事?
ずっとYouTubeのリスト回してたらスマホ壊れちゃった、と言いつつ周りに「お前らもこのくらいやれよJAMと名乗りたいならな」と圧力をかける事?
新しいコンテンツが公開されたから見ようかな、と思った人達に「MV回さないならタダ見するな」と脅す事?

JO1のファンダムは、いつの間にかそんな世界になっていました。

ファンのほとんどが日本国内に住む日本人であるJO1が、世界中にファンがいて何曲ものMVが1億再生を超える事も珍しくないK-POPアーティスト達に『今すぐ』肩を並べる。それがJO1のファンダムの望みなのです。

そのために「JO1が好きな人、気になる人」へ押し付けられる義務
MVの再生回数を稼ぐ、CDを何百枚と積む、写真集を何十冊と積む、テレビ番組の視聴率を上げる。
それをこなさなければ「お前はJAMじゃない、JO1のパフォーマンスを楽しむ資格はない」と陰に陽にかかる圧力。

私は、そんなファンダムから脱け出す事にしました。以前からTwitterで少しずつ愚痴をこぼしてはいたものの、ツイートで宣言してプロフィールにも書くにはやはり勇気が必要でした。

「好き」なものを「嫌い」にするには、それを義務にしてしまうのが最も効果的だ

例えば、ゲームが大好きで一日中やっている子供がいるとします。

「わかった、ゲームをやる事を許そう。その代わり、1日にステージをひとつクリアしなさい。お父さんとの約束だぞ」

父親がそう言えば、始めのうち子供は大喜びでしょう。でも、次はこう言われるとしたら?

「やれば出来るじゃないか。今度は1日にステージふたつをクリアしなさい、絶対だぞ」

ある日、途中のステージで行き詰まってしまいクリア出来なくなった子供を、父親がこう叱り付けるとしたら?

「お父さんとの約束だと言ったじゃないか、まだクリア出来ないのか!?お前はゲームが好きなんだろう、出来ないならゲームは取り上げるぞ!!」

こんな事が続けば、子供は大好きだったゲームを投げ出す事を選ぶに違いありません。もう捨ててよ、見たくもない、と言って。

ゲームが好きだったのは、自由だったから。自分のペースで好きなキャラクターを育てたり、強いボスの攻略方法を考えたり出来たから。
それが父親の命令で『義務』になった途端、苦手科目のテキストをこなすかのような重荷になって行ったのです。

私がJO1について抱いていた気持ちは、こんな風に変化して行きました。

あくまでもマイペースでいたい

もしも誰かに強要される事なく、再びJO1のMVやメンバーの出演するテレビ番組を見られる時が来たら、私はまた彼等を好きになれるかも知れません。

ファンダムの性質が変わらないならば、きっと戻らないでしょう。JO1なんて見たくもない、と考えてしまう日が来るかも知れません。

私は私のペースを取り戻すために、誰かのファンである事はどう言う事か考え直すために、JO1から離れます。


※ヘッダー画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借り致しました。ありがとうございました。

ちょこっとでも気紛れにでも、サポートしてくだされば励みになります。頂いたお気持ちは今のところ、首里城復元への募金に役立てたいと思います。