オタクと文学と正月休みと愚痴
新年明けましておめでとうございます、ゆこです。
何年か前からずっとはてなで書いてて、それなりに閲覧数も増えてくれたんですけど最近フォロワーにnoteにしてって言われたのでnoteに書いてみました。
はてな使いづらいしな。
ブログの内容はオタクのゴリ推しと身内ネタばっかで申し訳ないな、と思ってたから今度からはもうちょいフォロワー向けにしよう。
とか思ってるけど具体的な案はないし更新も今まで通り不定期でやるつもりなので何も変わんないっす。
以下 オチもない話
正月休みを頂いたわけですが、わりと暇です。
相変わらずオタク活動と数少ない友達と飲み、後はゴロゴロスマホをいじって筋トレして音楽を聴く程度。
noteを始めるに当たっておすすめ記事みたいなの結構漁ったんですけどみんな文章書くの上手いなぁってなりました。
読書も好きなんですけど読み物ならなんでも好きな人間なんで、年明けてから時間忘れてオタク文学を漁ってしまったわけですが、なんでお前らそんな国語力高いの?みたいな文章が多い。
読んできた文字の数なら本とTwitterも含めかなりの量になるはずなんですけど、文章力はいつまでも向上しません。頭悪いからな。
学がない俺は昨今の世の中は理系が強くて、文系はウェイが大半でごく一部の優秀、残りはよく分からない層で出来てると思ってたんですけどネットに居ると文豪の多さに舌を巻く。
ネットではよくも悪くも情報の取捨選択が簡単過ぎて、偏った人間はより偏った考えになってしまうと思うんだけれど、情報過多な現代でまともな人格を形成してまともな生涯を送る人間の多さにも本当に感心してしまう。
昔と違って紙の媒体も減り、直接文字を書くことは本当に稀で「文系www一生作者の気持ちになってろwww」とかバカにされるのも聞き飽きた今日この頃なんだけど、
電子媒体が増えて誰でも簡単にブログや小説、エッセイやポエムを形成して共有できる世の中文学の敷居は下がり、むしろ現代人にとってはよりコンテンツを楽しむために育てた方がいいスキルになってんなと感じる。
ちなみにゆこさんは学生時代計算とかのが出来ました、国語とかは読みは出来るけど書きはできないゆとりの典型で今でも字は引くほど汚いです。
この間仕事関係で久々にメールしたら「40代ならキレてたけど20代にしてはよく出来てたよ」とお叱りを受ける始末、申し訳ねぇ。
自分は仕事ができる人間だと思ってなくて、病気のこと関係なく、仕事に対して一定以上の熱意を持てないし、だらだら暮らせるならだらだら暮らして生きたい人間だから。
そんな怠け者の人間のくせに人一倍寂しいのに弱くて、常に誰かに必要とされていないんじゃないかと内心不安でいっぱいだったりもする。
この歳になれば他人が自分の想像以上に他人だと言うことも理解してるつもりで、自分が死ぬほど苦しくてもそれを分かってもらおうなんて厚かましい気持ちもなく、だからと言って他人を冷たいとも思わずただそれが当たり前なんだろうなとも思う。
そんな中SNSや恋愛が流行るのはみんなが寂しいからだし、何故か人間は寂しいや辛いことを恥だと思うらしい。
辛さも挫折も孤独感も人に見せるのは恥、みたいな価値観が蔓延してるのが意味がわからないし気持ち悪い。
優しい言葉くらいかけてあげればいいではないか。
所詮、自分の人生で自分の選択の結果で、他人から見たら他人の人生で他人の選択の結果なのだから叱らなくても、というかどうでもいいではないか。
人が落ち込んでいる時に優しい言葉もかけられない人間が他人に厳しい言葉を吐くのがまかり通るのはなんというか気持ちが悪い。
マウントを取って気持ちよくなるわりに益をもたらすようなことは一切しない奴は害以外のなんでもない、自分に厳しいのは凄いのかもしれないけど、それも当事者からしたらどうでもいいんだよな。
年末の相談ラッシュは年が明けて落ち着いている、みんななんだかんだ楽しんでるんだと思う、助けを求められるとなんとか好転させようと努力して、結果自分だけ損をしてるのももう慣れてしまった。
見返りは求めないから幸せなら正直に幸せと言え!!!となる。
心配性だからいつまでも心配してしまって辛い、これは自分のせいだが。
お前らが考えてる以上に俺はお前らのことを考えてしまうんだなと思う、暇だから。
感情的な方が人間らしいし、理性的なのが美徳という刷り込みが本当に気持ち悪い。
人間が理性的ならセックスも諍いもこの世にねぇよ。
え、何の話?
↑今日のおすすめ
note使いやすすぎワロタ
ゆこでした。
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