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2024.02.12

「転がる石のように」という言葉は好きだけれども、ロックバンドの文脈で語られるそれにはすこしの違和感もあって。常に動き回り、苔のむさない姿は、固定観念にとらわれず、思った通りに生きて行く自由の象徴。それを否定はしないけれども、僕の想う「転がる石のように」は、ただただ不安定から安定へ流れる存在の意。たしかに他とは違って動き続ける姿には自由の象徴を感じさせるけれども、その動力の源は転がろうとする内力ではなく、重力や水の流れによる外力。そう考えれば、人の行動も内力と思っていることでも、実は外力によるもので、すべては「自然現象」としてとらえられることなのかなと。どうなんだろう。「転がる石のように」の話は仏教の「諸行無常」の文脈でも語られることも多いけど、案外「諸法無我」の話でもあるのかと思うわけで。

その視点で考えれば人工物と自然物の境界線も無くなると。人の高度な文明を伴う営みも自然現象と括れるから。美しい山や海の写真に惹かれると同じ理由で、都会の摩天楼や路地裏のそれにも心惹かれると。もしかしたら、それは自然美に対する対抗文化としての想いかもしれないけれども、ただその感覚こそがそこに境界線をひきたがる人の業であり、人として在るべき姿への帰還回路なんだろうなと。だからこそ、そこをすこしだけ回避した隙間から見える景色はすべてがきれいで。見慣れたネイチャー系の風景よりも、見慣れていない分だけ落ちてる石のほうに強く自然美を感じてしまうと。それはそれはきのこもきれいにうつるだろうに。

なんだかおかしな文章になってしまったけど、これを16文字くらいのまともなものにできたらいいのになと。内容に矛盾してるけど。

そんなことを思う今日この頃です。

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