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#16 出会いの運に見放されて

人に会えないことが本当に問題だ。寮に住んでいた人たちもみんな居なくなって、いろんな物事に対する前向きな気持ちがどんどん失せてきて、人に会うのが億劫になるにつれてベッドの上でぼんやりとただ帰国の日を夢見ることが多くなった。

まだなんとか音楽を毎日作っているけれど、一月のように1日3時間も4時間も作れなくなった。世にだす作品を2つ、MVも合わせて準備できたことで心が勝手に創作意欲に一区切りつけてしまったのかもしれないけれど、それだけではなく、なんというか士気が下がっている。自分の技術や知識が足りないことにも気づいたから、インプットのためにYouTubeやネットで情報収集する時間が増えたことも、ある。あるある、原因は色々ある、でも抜け出す方法が一つもない。

今までの人生で絶対にやらなかったことをやるようになってしまった。朝から夜までパジャマでいることだ。先週、コロナを疑うような頭痛にやられて数日間寝込んだ。テストをしてみたら陰性だったので、インフルか何か別の病気かもしれないが、コロナだと思って寮の友人に自分を隔離してもらえるように色々準備してもらい、本気でしばらく隔離生活を決行するつもりだった最初の4日間で、すっかり気が落ち込んでしまったのかもしれない。

去年の終わりの元気はどこから湧いていたのだろう。音楽を作っていても本を読んでいても、勉強をしていても旅行をしていても、漠然とした虚無感に襲われて無性に日本に帰りたくなる。ただ留学初期に感じていたいわゆるホームシックではなく、「なぜ私はまだここにいるのだ?」という疑問が原因になっている。そう、どうして私はまだここにいるのか。音楽を作るにもなかなか不自由だし、読みたい本もあまり手に入らない。一緒に頑張ろうと思える仲間もいなければ面白いと思える授業もない。

だらしないけれど、自分より努力家で意欲的な人々に囲まれて今まで自分のケツを叩いてきたから、こうして極限まで自分を一人ぼっちにさせると、ただただ空虚に遠くを見つめてベッドに横たわり、音楽を聴いて死を待つような状態になってしまう。死を待つというのが比喩なのか、現実的に近い状態にあるのかは、どちらだろうよくわからない。不幸などない。「自分があなたの立場だったら同じようになると思う、仕方がないよ」と慰められると、泥のような状態の自分に対する自己嫌悪は多少軽減されるものの、つまり解決策が全く手元にないということが他者にもみて取れるくらい私は"残念の淵"にいるのだな、と感じる。留学することで無理矢理でも人に会えると思っていたのに、留学したことでこれまで以上に人との関わりが希薄になった。大学がオンラインになり、大学がサークル活動などを全く行わないこともあって現地の人とも留学生とも会えない。

会いたい。人に。なんでこんなに人に会えなくなっているのかもうよくわからない。自分で人を拒絶している節もあるけれど、最初はこうではなかった、会おうと働きかけていた。ただ…人に会うのが楽しくなくなってきた。助けて、友達が友達じゃなくなってきた。友達だった人が友達じゃなくなって、助けてくれると思っていた人が自分から得られるものがないと離れていってしまうことが増えた。一人になる、これじゃあ一人になる。ただ辛い。ただ辛いという話を直接できる人が、何時間も携帯を眺めているのに一人も浮かばないことさえある。話を聞いてもらって安心しても、次の瞬間目の前が真っ暗になって全部意味がわからなくなって、もう一度1から話を聞いてもらいたくなって、でも何から話したらいいかわからないしもう一度相手の時間を奪うなんてできなくて、やっぱり会えないから何も解決しなくて、相談できてもあなたのことが見えないし会えないから何も次のアイデアが浮かばないまま眠りに逃げる。日本のラッパーの歌詞を聴いて「死ね」って思う。どうしてこんなに二年間も私は人に会いたがっているのに、人が私に会ってくれないのかがわからなくて悲しくなる。Mac MillerのCirclesという前から大好きなアルバム、今年に入ってからずっとずっと聴いていて、もはや自分になりつつある。IUの有名な曲をぐるぐると聴く。孤独な二人だ。なぜ生きているんだろう。あ、Macはもう自殺してしまったんだった。こんなに生々しいスネアの音を響かせることができるのに、なぜ死んでしまったのだろう。彼の音楽に比べたら私の音楽なんて全部死んでいるみたいだ。生きている私が作っている音楽なのにどうしてこんなに死んでいるんだろう。どうしてみんな私に壁を作るんだろう。どんどん壁がはっきりとよく見えるようになってきて嫌だ。私はそのせいで、人と話すときにどんどん「鈍感な人間」のふりをする癖がついてきてしまった。鈍感なふりをすると相手が油断して本当の態度をする、そういう時に私は「ああ、この人のこと見つけた」と思う。私なんかすごい腐っている。

最近、同じく留学している友人と電話する時が、家族と電話している時より救われる時間になった。彼女たちは環境が私より恵まれているけれど、自分がどうしてここまでの状態に陥ってしまったのかがなんとなく想像できるのだと思う。一番的確な角度から寄り添ってくれる。そんな彼女たちが、「自分が同じ立場だったらあなたみたいに塞ぎ込んじゃうと思う、あなたのせいじゃない」「もうここは出会い系アプリでも使って人に会ってみたら?」と、確かにね、と思える話をしてくれる。それは少しだけ違う明日の方向を見つけるヒントを教えてくれている感じで、まあ実際は彼女たちも日々頑張って新しい日々に出会うために生きているからこそ現実的な解決策として響いてくるのだと思うのだけど。

でも、それでも、仮にもう少し頑張ったとしてそれでも人に会えなかったとしたら。本当に私は日本に帰りたい。ヨーロッパを一ヶ月くらい旅行して、きっぱり帰ってしまいたい。日本食が恋しくて、舌がこちらのものを食べてもさっぱり喜ばなくなってきた。選ぶ国を間違えたのかもしれない、国選びがこんな大事だったとは。いや、だけど国だけのせいではない、このコロナ禍で留学を選択したことも原因だったし、半年で十分だったのを一年にしてしまったのも間違いだった。間違いじゃないと思える方向にこの2月中に変わればいいのだけど、半年にして半年間で勉強して何故か作曲に目覚めて旅行たくさんして帰るでよかったのだけど、なぜ一年間の留学にしてしまったのだろう。帰りたい。誰かに会いたい。出会いは運。運が来ない。しんどい。

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