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#15 クソ真面目

2022/01/01 2:04

2022年、私は、何度も諦めては過去に捨ててきたモノ・コト・ヒトたちに、今度こそ本気で向き合う一年にする。途方もなく正気だ。こんなに強い情熱を持った決意を私は今まで感じたことがないし、「情熱」なんて言葉が自分の人生や日記に登場する日が来るとは思わなかった。「情熱」に関連するものを身の回りに置かないようにしていた。留学しているくせにと思われるかもしれないけれど、情熱などなくても留学はできる。情熱などなくても、充実した留学生活を送ることはできる。でも、それをやめる。

私はいつからか、好きなモノ・コト・ヒトにクソ真面目になることから逃げてきた。向き合うことはどれくらい辛いかを想像するだけで、怖くなって退散した。真面目になっている自分を客観視するのが怖くて、沢山沢山逃げた。そもそも、真剣になる必要などなかったりもする。一般論として、真剣にならないという選択肢はある。でも自分の場合は、その選択肢がどうやら元々設けられていないみたい。「趣味」やら「思いこみ」やら「気の迷い」だと思い込んだままでいたかったけれど、もうそんなふうに説明するには無理があるという事実を認めるしかなくなった。どうやら、自分を過信しないことには何も始まらないようなのだ。それに、過大な自己評価は悪いことだろうけど、自己過信はそんなに悪いことじゃないのかもしれない。少なくとも、今の自分には。

逃げていた全てに対して本気になる、そう決めたのは3日前。12月29日の、久しぶりに泣いた夜。いろんなことがあったその日の最後に、父親から届いた4日遅れのクリスマスカードを読んだ私は、文字通りホロホロと泣いていた。それは今までの人生で初めて、「強い人間なりたい」という思いのために込み上げてきた涙だった。父親のメッセージは、「強くあれ」だった。近頃物事の節々で感じていたことに、父親の言葉が最後の一押しとなって、私は今度こそ、強くならざるを得なくなったのだ。今までは、寂しい、悲しい、辛い、悔しいが涙の理由であることが殆どだったけれど、「ああ、私はこれからきっと強くなるんだ。そうあるべきなんだ」という、決意の姿をした何かが理由で泣いた。なぜ決意が涙になるのかがわかりそうでわからないが、私はただ泣いた。それは凄く大きくて重々しくて、泣くしかなかった。支払う対価より、得るものの方が多いことを私は認めた。

さようなら、「圧倒」と「翻弄」の2021年。刺激的だった。たくさんの希望と絶望、そして全体を漂う疲労感に包まれていた。達成感はまだないけれど、いろんなことをした。そのうち達成感も味わいたい。大晦日は、起きてから夜までずっとベッドの上で曲を作っていた。昼も食べずに作業をして、成果としては「見えていた完成形が見えなくなった」という感じ。2歩ぐらい後退した。でも、その工程全てを愛していると思った。多くは語らない、これも「もう逃げない」と誓ったことの一つ。

強い人間になる、などと宣言する私のことを、どうか煙たがらないで欲しい。失敗しても、選択を間違えたなどとはきっと言わないと約束するから。一見すると、今の私は今までで一番単純で前向きな人間だ。だけど、紆余曲折を経て、戸惑いを抱えながらも単純な目標を掲げることは、ただ単純であることとは違うと思う。そうであろうと思う。誰とも比較しなくていいこの環境で、あと6ヶ月間、私は自分だけに向き合う。変わった自分を変わらず(今まで以上に)愛してもらえるよう、私は今度こそ本気になります。宜しくね

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