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【通信制・単位制高校】全日制高校からの転学

進路を決めるのはとてもエネルギーがいります。
でも、体調がいかようでも進路選択の時期は訪れてしまいます。

うちの場合は、
息子は高2の春に全日制から転学
娘が高1の春から新入学でした。

そのときの本人の体調や気持ち、現実性があるか、
で考えるしかありませんでした。

だめだったら変えればいい、いつからでもやり直せる。
それは本当なのですが
未知の進路。
環境を大きく変えることは大変ですし、
不安も大きいです。

簡単に言わないでー
と泣き言も言いながらでした(親も)。

うちの場合についてどんなふうにして決めたか、
その結果今どう思うかなどを
書いてみたいと思います。



不登校、中高一貫校からの進路選択


内部進学


中高一貫校は不登校でも希望すれば内部進学できる場合もあります。
条件は、学校によってまちまちです。

息子は
いわゆる進学校に在籍していました。
息子が行きにくくなったのは5年前、
不登校の数が増えだした初期の頃ということもあり
学校の対応は厳しめでした。

所属を続ける意志があるか、
病気の事情はどうか、に加えて
勉強がついていけそうか
もみられました。

中1の秋から体調を崩した息子。
中2中3は保健室登校やスクールカウンセリングのために登校、
できる範囲で行事に参加、
授業はほとんど受けず、
という状況でした。

進級や進学については
担任、学年主任と本人、保護者とで
年3回ほど面談をしていました。

中3の夏、
冬にした面談で以下のような状況が認められ、
内部進学をすることになりました。

*本人の進級、内部進学の強い希望がある
*過敏性腸症候群の診断書がある、
過緊張などについて関わった教員が皆認識している。
*定期テストを受けていた。
わずかでも課題を出したり
本人が各教科の担当教諭に事情を話しに行ったりしていた。
*中2に比べて、
中3は保健室登校の状況や成績が上向いていた。
*春休みの補講に出席する意志がある。

高校2年での転学

やる気に満ちてスタートした高校生活でした。
体調も上向きで、休む授業もあるものの
なんとか登校していました。

ただ、徐々に慣らすということができませんでした。
一気にエンジン全開で走り出そうとしたのです。
中高一貫なら引き継ぎがスムーズかというと
そうもいかなかったようです。
(学校によります。
保健室は中高共通で理解の深いベテランの先生がおられ、
一番お世話になりました)

高校生活ができる嬉しさを体験しながらも
かなりの無理をし、
きっかけらしいものもあり、
秋には全く動けなくなってしまいました。

「なんでなん。やろうと思っているのに。
俺、もう治らないのかな」
回復と思いきや、また振り出しに?
本人も親も一番つらい時期でした。

保健室の先生が息子と親に別々に
全日制以外の高校の仕組みや
狭域の認定校を具体的にいくつか教えてくれました。

それらを参考に
体調が悪い中
高校見学は、二つだけ行けました。

「電車に乗る時間が短い」
「特に悪いところはなさそうだ」
「どちらかというとこちらの雰囲気が好き」
などという消極的な理由で決めました。

本人も親も、本当にわからなかったです。

このままでは体が壊れてしまう、
とにかく体調が整えられるように、
との思いだけでした。

何もできない状態では未来のことが考えられない、
このつらさに打ちのめされました。

高1の冬、高2から転学することを決めました。

高1末まで在籍すると高校1年分の
認められた科目について単位を得られます。
いくらかの単位を引継ぎ、残りを単位制高校で
とることで高校卒業資格を取得することにしました。

得られる単位は学校によってだいぶ違うようです。
うちは前籍校から43単位いただけました。
ただ、息子の単位制高校の同級生では
ほとんど単位を持たずに転籍してきた方もおられます。

担任にたずねても単位がどれくらいいただけるのかは
確約はされませんでした。
転籍時に前籍校が用意する書類に記入され、
知らないままに転籍の受験をすることになります。

転学後は単位に余裕があることで気持ちにも余裕が出て
いろいろありながら
体調を立て直すことができました。

体調が治った今では、
勉強をろくにせずに単位をもらったと感じる科目もあるようで、
「受験に必要のない科目の勉強も後々役に立ったのかなぁ。
でも体がなぁ」
などといってみたりしています。

思うこと

内部進学は息子が「ここしか考えられない」
という気持ちだったことが大きいです。
その次の転学は
悔しいながらも自分を守るためには
仕方のない選択という感じでした。

こどもが進路を決めるときに、
家族の動きは無視できないと思います。
息子の時(2~3年前)は、
通信制高校に転学するという選択肢に
親もきちんと向き合えていなかった気がします。
「ここしか考えられない」のは親もそうでした。
「この子にとって一番いい方向を考えましょう」
というまわりの人の言葉が
素直に入ってこないときもありました。
どうにかして続けられるように力を注いでいた気がします。
そして続けられないことに悲しんでいたように思います。
だから、当然に息子もそう思ったのかもしれません。
不登校対応の本ではだめだと言われる親の態度です。

息子とは違い、
娘は「このまま進学した姿が想像できない」
という気持ちを話してくれました。
進学先は「ここならやっていけそう」
と自分のために選択したのでした。
親の知識や親の心持ちようも変わってきていました。
次の記事では娘の場合について書いてみます。

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