『女の子らしさ』に憧れることを悪にしないで

みなさんこんにちは。
れもんぱいです。

昨今、女性の権利に関する問題で騒がれてますね。
主に上の方々の問題発言のせいで。
そんなことが起こる前の流れでも、女性の権利については多くの発言力を持つ人々から盛んに叫ばれてきました。
エンターテイメントにももちろんその流れ波及していて、主にディズニーアニメ映画が好きな私は、その流れを少しの違和感を持って見つめていました。
違和感が確かなものに変わったのは、トイストーリー4の公開時。
今まで大きな膨らんだスカートを着ていたボーピープという羊飼いの人形キャラクターが、パンツスタイルにアグレッシブな行動をする側面が強調され、再登場しました。

実際の人間であれば、その人の意思で『女の子らしい』自分からそうではない自分に方向転換することになんの違和感もありません。
どちらの側面も認められるべきですし、「これが本当の私よ」と言われれば「そうなの、素敵ね。」と言えるでしょう。
でも、ボーピープは物語中のキャラクター。もちろんそれを動かす人が外に存在して、その意思が反映されます。私は、『女の子らしさ』から抜け出して活躍することを、美学としているように見えてしまいました。

『女の子らしさ』の呪縛から逃れて本来の自分を発露できる人はもちろんいて、そのこと自体は素晴らしいことだと思います。
『女の子らしさ』の呪縛は時代を追うごとにだんだんと影を薄くしていることも、喜ぶべきことでしょう。生き方に多様性が認められたということでしょうし。
でも、その生き方を賛美するにあたって、『女の子らしさ』に憧れを持つ人、それを目指す人を否定するのは違うと思います。
私は良妻賢母を目指したいし、専業主婦で夫を支える母のことをとっても尊敬しています。部屋はホワイトとペールピンクを基調としているし、女の子らしく他の人を立てることだって得意で好きです。
私は、現代のあらゆる価値観がある中で、今の私の価値観のままでいい。
多様性の時代、古臭い価値観で生きる私も存在を認めてほしい。

私が女性なので『女の子らしさ』に焦点を当てましたが、男性だってきっと同じでしょう。弱い物を守るという古来の男性らしさに憧れを持つ男性だっているはずです。男尊女卑の価値観は女性を傷つけるのでちょっとやめたほうがいいとは思いますが、強くあるべきという『男らしさ』の呪縛から逃れた上で、なおそれを求めるのであれば、それも尊重されるべきでしょう。

他人を傷つけない価値観であればどんなものだって存在を許されるべきだと思います。何かを認める時、他の何かを貶めることのないように。マイノリティーが権利を得るために、他のマイノリティーを作らないように、みんなお互いの存在を認めて生きていけたらと思いました。

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