【資料】歴代の玉阪比女彦について

※希佐ルート(致命的)、発売前SS、1stアニバSSのネタバレ注意。

あくまで資料のため今回は可能な限り確定情報のみを網羅することに努めた。
考察や疑問は後日別記事で取り扱うものとする。
なお、特定のシナリオや媒体でのみ確認できる情報は混乱や混同を避けるため可能な限り出典を明記した。

①初代 中座月彦(玉阪比女彦)
・玉阪歌劇のルーツである旅一座の座長であり始祖、看板役者
・江戸中期(=1650~1750年頃)に人気を博した
・現在の玉阪一体を治める殿様の寵愛を受けて土地(現在のユニヴェールや玉阪座の辺り、当時の宿場町近くと表現されることも)を賜り、そこを一座の拠点(舞台小屋)とした
・同時に「玉阪」(「偶さか」なる才能が由来とされる)の姓と「比女彦」の名も賜り、旅一座の名前も「玉阪座」に改めた
・絶世の美少年で男女両役を兼ねていた
・心を激しく病んで死没
・現在は大伊達山の神とは別に芸事の神として比女彦神社に祀られており、他に縁結びや合格祈願などのご利益を持つ
・大伊達山の一本藤を愛していた(5/2 カイの休日会話「カイさんを捜しに森のなかへ」)
・絢浜の地主神である愛情深い大ナマズを偲んで神楽を舞ったことがある(8/13 メインシナリオ「絢浜市観光」カイ選択時)

(補足1)殿様とその一族について
※以下は本編ゲームと1stアニバSSの内容を統合した情報
・氏名は「開松原」、作中では主に殿様、大名、領主などと呼ばれる
・中座月彦(初代)に土地と玉阪比女彦の氏名を与えた人物
・上記より活動時期は江戸中期(=1650~1750年頃)と分かる
・相当なやり手で開を大いに栄えさせた
・比女彦の玉阪座にも深く関与していた様子
・大伊達山を背に、代々この一帯を治めてきた開一族の出身
・後世において一族は大政奉還(1867年)と廃藩置県(1871年)の影響によって町を去り、「開」という土地の名と主を失った武士たちが後に残ったとされる

(補足2)中座家と玉阪家
・月彦以降、玉阪の始祖として「玉阪比女彦」の名が次代へ継がれるようになる
・ある時期に本家の中座家が養子のために分家として芸名を譲って玉阪を姓とする玉阪家を作った
・以降は二家で比女彦の名をとりあうようになったが、次第に天性の華のある玉阪家が継ぐことが増える
・初代である月彦が心を激しく病んで死没したこと、比女彦の名を継ぐ者は不審死をとげるものが多かったことから二家は「比女彦の呪い」が存在すると信じている
・呪いを恐れるがゆえに襲名を拒否する者も現れたため、災難を逃れようとやがて名前を半分に割って継ぐようになった(女形は○比女、男形は○彦)
・二家は様々な験担ぎをして呪いを避けようとしてきたがそれでも非業の死を遂げるものは続いた
・後述する11代目の志木年が女性(自分の次女)を比女彦にするまでは、験担ぎとして30歳未満の男子に継がせる決まりとなっていた

以下、その他の細かな補足情報。
・舞も歌唱も玉阪座のお家芸のようなもの(高科流の舞とは異なる)だが、中座家は歌の華に乏しいとされる(希佐ルート 2/7「比女彦より」歌唱力選択時)
・歴代の比女彦は比女彦神社に献木を行っている(夏劇「『あらた森の蟲退治』」)

(補足3)玉阪市と玉阪、開について
※以下は本編ゲームと1stアニバSSの内容を統合した情報
・比女彦が作った舞台小屋の地域一帯が後に「玉阪」と呼ばれるようになり、玉阪市の由来となった
・現在の玉阪市は大伊達山を水源とする多嘉良川を境とした芸事(比女彦)の町「玉阪」と武士(殿様)の町「開」が合併してできたもの(開のすぐ隣が現在の絢浜市)
・合併が決まったのは明治22年(=1889年、明治の大合併)、今後の町の名前を玉阪と開どちらにするかで大論争となった
・現在、玉阪側が歴史的景観の保全に注力する代わりに、開側が都市機能や政治機能の発展を請け負っている(厳密には玉阪の駅の少し先が元開町らしい)

②2代目 甚地
・月彦の兄

③3代目 (本名、芸名不明)
・甚地の長男(月彦の甥)

④4代目 (本名、芸名不明)
・比女彦神社への献木は運気のいい方角(夏劇「『あらた森の蟲退治』」)

⑤5代目 不明
⑥6代目 不明

⑦7代目 (本名、芸名不明)
※5/19の根地のランダム会話でのみ言及あり(複数人で確認済み)
・玉阪歌劇学校を創設した
・一目惚れに関するエピソードがある(詳細は不明)

(補足)玉阪歌劇学校の創立時期について
プロローグの秋吏のセリフ
「ユニヴェールには前身の『玉阪歌劇学校』時代を含めりゃ、200年以上の歴史があんだ。
原型の旅一座『玉阪座』までさかのぼれば300年以上か。」
以上により、7代目が活躍した時期及び玉阪歌劇学校の創立時期は本編から遡って200年以上前の出来事と分かる。
また、この時期に高科家が興ったことがフミの親愛イベント1のセリフから確認できるため、何かしらの関わりがある可能性が存在する。
フミ「……うちさぁ、日本舞踊の家元なんだわ。
高科流っていうんだよ。
歴史は玉阪座に比べるとちっと浅いけど200年以上続いてて……
生まれたときから扇を持たされるような家だ。」

⑧8代目 (本名、芸名不明)
・比女彦神社への献木は目立つところ(夏劇「『あらた森の蟲退治』」)

⑨9代目 不明

⑩10代目 不明
・後述する11代目の志木年が比女彦の呪いの回避のために苦肉の策までとったこと、後述する1stアニバSSの設定などから志木年の兄が10代目だった可能性がある

⑪11代目 玉阪志木年(年比女?)
・女であれば比女彦の呪いから逃れられるのではないかと考え、苦肉の策として自分の次女(娘)を次の12代目とした
・自分が玉阪家の人間であり、男児に恵まれず、中座家に比女彦の名を譲りたくなかったのも上記の決断をした理由の一つ

※以下は1stアニバSSの情報。
なお、劇中劇でのみ触れられている設定や情報は根地の脚色の程度が不明なため記載を最低限とした。
・玉阪と開の合併に関わったと推測され、劇中劇の比女彦のモデルと思われる
・口うるさく、時には周囲からうとまれる一番彦がいたらしい
・劇中劇では最愛の兄を亡くしながらも舞台に立ち、玉阪座の内政を自らの手で大きく変え、今までにない試みを次々と行う才人とされる

(補足)11代目の芸名について
年比女は希佐ルート 1/31「偶さかなる者」の田中右のセリフに登場する芸名。
女形の比女彦の名前の例として登場しており、志木年は1stアニバSSで比女であったと推測できること、他の代と比較したときに命名法則が一致することから暫定的に彼の芸名と考えられる。
同時に男形の比女彦として新彦という名前も挙げられているがこちらの該当者は現状不明。

⑫12代目 玉阪??(本名、芸名不明)
・11代目の志木年の次女(娘)
・明治時代に活躍(詳しくは後述)
・父の志木年の女であれば呪いを避けられるのではないかとの考えから、それまで男のみが襲名してきた比女彦となった女性
・しかし、予想に反して何らかの悲劇的あるいは不審な死を迎えた様子(早世したことは後述の内容により確定)
・12代目の死を機に玉阪家は立場を追われ、比女彦の名が約80年ぶりに中座家に返還される

※以下は夏劇(主に「涙かんざし」「『あらた森の蟲退治』」)と発売前SS(07 立花希佐 scene04)の内容を統合した追加情報
・役者紋は八の字と拍子木を組み合わせたもの
・「来世はあの人と結ばれますように」という願いを込めた役者紋付きの白金(プラチナ)のかんざし(涙かんざし)を残す
・明治時代(玉阪市の合併があった明治22年=1889年以降?)に涙かんざし(詳細は夏劇参照)と関連があると思しき内容の舞台の初演を演じた
・上記舞台は人気だったようだが、その早世と共に上演されなくなった(後世において復活、タガネが関与)
・比女彦神社への献木は控えめなところにあり、役者紋が添えられている

(補足)玉阪家の歴史の分岐点
12代目の死をきっかけに比女彦の名が中座家に返還される。
さらに、後述する13代目の作った新規則から玉阪家は襲名の権利を喪失。
本編時点で13代目以降の比女彦に玉阪家出身者は存在しない。
また詳細な時期は不明だが、12代目に加えて11代目の志木年が亡くなり、それを境に玉阪の歴史(表舞台)から玉阪家は消失。
以降、玉阪家は中座家から身を隠し、歴史の影に息を潜めて現代まで血を繋いできた。

⑬13代目 中座内吏(内比女)
※以下は8/27 世長の休日会話「玉阪座史」と希佐ルート 1/31「偶さかなる者」の内容を統合した情報
・秋吏(校長)の曾祖父(ひいおじいちゃん)
・明治生まれで昭和まで生きた
・約80年ぶりの中座家出身の比女彦
・比女彦の名は中座家が継ぐという新しい決まりを作った
・西洋の舞台に興味があって海外を見て回った
・玉阪歌劇学校をユニヴェール歌劇学校に改名
・彦をジャック、比女をジャンヌと呼ぶことを提案
・玉阪座を拡大した革新的な人物

⑭14代目 中座??(鷹彦)
※8/27 比女彦通りでの休日会話「校長先生のおじいちゃん」でのみ言及あり
・秋吏の祖父
・希佐がモノクロ写真を見て一瞬間違える程度には秋吏(校長)と似ている
・鷹のようなするどい目をした美男子
・資産家の娘と結婚した

⑮15代目 不明
⑯16代目 不明

⑰17代目 不明
・秋吏(校長)の父である倫であった可能性がある

⑱18代目 中座秋吏(秋比女)
・ユニヴェールの現校長
・ユニヴェールの運営が忙しくあまり玉阪座の舞台には立たない
・奔放な性質のためかた苦しい年寄り連とは気が合わない(対立している)
・歌の華に乏しいとされる中座家の出身だが歌唱に自信あり(希佐ルート 2/7「比女彦より」歌唱力選択時)

以下は中座家、玉阪家と関係が明言されているその他の関係者たち。

番外1:田中右宙為
・本名は玉阪宙為
・11代目の志木年のもう一人の娘(長女、12代目の姉)の子孫
・中座家から身を隠しながら歴史の影で息を潜めていた血筋、玉阪家の末裔
・玉阪家には中座家にない華があると信じ、現在の比女彦の襲名制度をよしとしない玉阪座の人間たちに密かに支持されている
・玉阪座の理事会は宙為を次の比女彦(19代目)に据えようとしている(宙為自身はどうでもいいというスタンス)

番外2:若様(※通称)
※8/1 世長の休日会話「創ちゃんと玉阪座の感想」でのみ言及あり
・秋吏の甥
・現在は玉阪座に在籍
・比女役で通称は若様
・世長が見た公演ではオニキスの卒業生(彦役で継希の同期、通称は氷の王子)と主演を務めた
・秋吏とは雰囲気が異なり小さい頃から舞台の世界にいるフミに近いものがある
・パンフレット掲載のインタビューでもわかるほど氷の王子とは仲が悪いが舞台の上では最高のパートナー