【考察】皐月の雨に濡れて

タイトルで?となりそうだが、昨年からSNSで繰り返し触れていた『雨月物語』の話をしようと思う。
ジャックジャンヌを考察する上で大事なポイントではあるのだが、公式公表の戯曲モチーフと独自に調べてきた神話モチーフetcを繋ぐことにもなるのでどのタイミングで説明すべきか悩んでいた。

早速、本題に入っていくことにする。

ジャックジャンヌには希佐+攻略キャラ6人に発売前から公開されているコンセプトアートが存在する。
※現在は公式サイトのSPECIALにあるCONCEPT ART & SHORT STORYで閲覧可能。
一見すると単なるイメージに思えるが、おそらく該当の7枚には各キャラに対応あるいは関連する戯曲や小説があてはめられている。
ほぼノーヒントの状態でイラストの状況、背景、雰囲気から推測し、一つ一つ地道に調べなくてはならないため、あくまで暫定ではあるが現時点で分かっているもの(不明なものもある)は下記の通り。

コンセプトアートの元ネタ(暫定)
希佐→ジッドの『狭き門』
フミ→チャイコフスキーの『白鳥の湖』
カイ→ラブクラフトの『銀の鍵』もしくは『未知なるカダスを夢に求めて』
根地→(不明)
白田→(不明)
スズ→シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』
世長→上田秋成の『雨月物語「蛇性の婬」』

(補足)スズの戯曲モチーフ
設定資料集やインタビューなどでは明かされていないがスイ先生のYouTube配信や十和田先生のTwitter(Fleet機能)などで過去に数回の言及がある。
スズの戯曲モチーフはウィリアム・シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』である。
(ただし、執筆しているうちにだんだんロミジュリ要素が薄れてしまったらしい。)
スズのコンセプトアートを暫定的に『ロミオとジュリエット』としているのは、印象的なバルコニーのシーン(「なぜあなたはロミオなの?」)を織巻ルートでは屋上に置き換えている可能性があるため。
以下に有志による考察も掲載するので気になる方は参照のこと。
https://fusetter.com/tw/NYMIkLw1
(掲載許可ありがとうございました。)

さて、上記のリストの中で最も確実性があると考えられるのは、世長の『雨月物語「蛇性の婬」』だ。
コンセプトアートには土砂降りの雨が降る中で傘を持って軒下に一人佇む世長が描かれているが、該当の小説にはこの情景がそのまま登場する。
そして、これを起点にして丁寧にジャックジャンヌの設定や物語を紐解いていくと、書籍やインタビューで「削った」と言われてきた公式公表の戯曲モチーフに今も生きているものがあり、これまでの考察に登場した神話モチーフなどとの繋がりも徐々に見えてくるようになる。
今回はその起点あるいは方向性を簡単に示せればと思う。
とにもかくにも『雨月物語「蛇性の婬」』がどのような物語か知らなければ始まらないので、簡単な解説と要約を載せておく。

(簡易解説)『雨月物語』とは
『雨月物語』とは上田秋成によって江戸時代に著された怪異小説。
近世日本文学の代表作の一つとされる。
日本や中国の古典を元にした九編の物語が収録されており、「蛇性の婬」はその中の一編である。
中国に伝わる白蛇の女と人間の男の伝承「白蛇伝」(厳密にはその流れを汲む物語の一部)を参考にしていると言われている。

以下、『雨月物語「蛇性の婬」』要約。
ただし、完璧にまとめようとすると煩雑となるため、あくまで重要箇所に内容を絞った簡易版であることに留意すること。
詳細を知りたい場合は下記に記載してある書籍などを参照するように。

(簡易要約)『雨月物語「蛇性の婬」』
参考:上田秋成『改訂 雨月物語 現代語訳付き』(鵜月洋訳注)KADOKAWA、2006年

いつの時代のことか、紀伊の国の三輪が崎の裕福な家に豊雄という心優しい青年がいた。
ある雨の日、豊雄は傘をさして外出先から帰路についたが、あまりにも雨足が強いので知人の家の軒下で雨宿りをする。
するとそこへ、ぐっしょりと雨に濡れた女が侍女を連れて現れた。
同じように雨宿りがしたいという彼女はとても美しく、その色香に豊雄の心はゆらめいた。
雑談の後にそろそろ帰るという女に、まだ雨がやんでいない、後日家に取りに行くからと豊雄は自分が持っていた傘をかす。
女は豊雄の傘を受け取ると県の真女児と名乗ってその場を去っていった。

――それが豊雄の不幸の始まりだった。

真女児の正体は年老いた淫蕩な白蛇だったのだ。
豊雄の美貌に惹かれた彼女は、彼にどこまでもしつこくつきまとうようになる。
真女児は不思議な色香と恐ろしい力で、豊雄のみならず周囲の人々までも惑わし、時には排除していく。
やがてその毒牙は騒動の果てに豊雄の新妻となった富子にも向けられた。
真女児は富子に取り憑き、里の人間を人質にして豊雄に自分のものになれと迫る。
もう逃れられないと悟った豊雄はとうとう決意した。
「どうか富子の命だけは助けて欲しい。その上で私を好きにするがいい」
しかし、事情を知った富子の父の機転により、法海和尚という僧侶の助力を得てすんでのところで真女児は封印される。

その後、豊雄は無事生き延びたが――富子はこの事件が元でやがて病にかかり息を引き取ったという。

以上が『雨月物語「蛇性の婬」』の大まかな内容である。
あのコンセプトアートは今まさに豊雄(=世長)が真女児と出会う悲劇の始まりを描いていた――というわけだ。
この話、実は公式が公表している世長の戯曲モチーフである寺山修司の『身毒丸』及びその元となっている説経節『俊徳丸』『愛護若』と類似した構造を持つ。
以下に具体的な共通点を簡単にまとめる。
※『身毒丸』『俊徳丸』『愛護若』の解説や要約は掲載すると煩雑となるため別途取り扱う予定、知識のない人は申し訳ないが今回は許して欲しい(『雨月物語』を先にした方が後で理解しやすいため順序を変えられなかった)。

・主人公は社会的に地位が高い、あるいは裕福な家庭の息子である=『俊徳丸』『愛護若』
・主人公は(並々ならぬ)美青年である=『俊徳丸』『愛護若』
・主人公はその美貌が原因で邪恋を抱かれる=『愛護若』
・邪恋を抱いて主人公を追い詰めるのは蛇の女怪である→『身毒丸』『愛護若』
『身毒丸』の撫子は元見世物小屋の蛇女。
『愛護若』の雲井の前は大蛇に姿を変える。
・主人公は義母によって理不尽な形で社会的立場を失う=『身毒丸』『俊徳丸』『愛護若』
・↑より最悪の場合は主人公は死に至る、あるいはその可能性を持つ=『身毒丸』『俊徳丸』『愛護若』
『身毒丸』は体をバラバラにされて母に変身した他の登場人物たちに喰われる(台本版)。
『俊徳丸』は屈辱から自害を決意する(寸前で恋人に救われる)。
『愛護若』は流浪の果てに滝に身を投げ自害する。

こうして各物語を比較すると、世長のコンセプトアートが『雨月物語「蛇性の婬」』を参考にしているのは、彼の戯曲モチーフが『身毒丸』であることと深く結びついていることが分かる。
そして、そのさらに元となった『俊徳丸』『愛護若』とも強い関連性があることから、世長創司郎は単に『身毒丸』だけをモチーフに作られたキャラクターではないことが推測できるようになる。
つまり、世長創司郎が『身毒丸』を元にして生まれたのは確かに間違いではないが、厳密にはそれに関連、類似する複数の物語群を束ねた存在という可能性が見えてくるのである。
(過去に考察してきた神話モチーフもこれらと何かしらの形で結びつくようになっている。)

以下に分かりやすいように図解を載せてみる。
膨大かつ複雑なためこれも簡易(かつ暫定)ではあるが、今回取り扱った『雨月物語「蛇性の婬」』以外にも現時点で分かっていることを少しだけ記載した。
この結びつきこそSNSで理解はできるが解説は難しい(一部は現時点では不可能)と筆者が零してきた理由の一つでもある。
一から説明するには前提となる知識が膨大すぎる(それでも氷山の一角にすぎない)し、世長以外のキャラクターも似たような成り立ちをしている(あるいはそう推測される)が全てを把握、考察するのは現時点では労力的にほぼ不可能な領域である。

さて、上の図の通り『雨月物語「蛇性の婬」』の元となった中国の民間伝承『白蛇伝』も世長の成り立ち、設定に関与している可能性(世長自身も蛇の特徴を持つことなど)があるのだが、煩雑となるため今回はここまでとする。
その他、以後は折を見て他の戯曲や小説に関連する考察を書いていければと思う。


(補足)『雨月物語「蛇性の婬」』へのあてはめ
コンセプトアートから豊雄=世長というのは分かると思うが、それ以外の主要人物は誰にあてはめられているのか簡単に補足する。
まず、豊雄=世長、富子=希佐である。
(ただし、今回の考察でも若干触れているが『雨月物語「蛇性の婬」』で最終的に命を落とすのは富子だが、そうでなければ本来は豊雄が――というのが重要。)
そして、残る真女児にあてはまるのは大伊達山の神である。
理由を説明するには日本の山岳信仰の解説などが別途必要となるためいずれ。

(余談)雨月の意味
雨月とは
・陰暦5月の異称
・名月(陰暦8月15日の月)が雨で見えないこと
などを指す。
『雨月物語』のタイトルもこの「雨月」から取られている。
世長は(陰暦と太陽暦の違いはあるが)誕生日が「5月」15日、何かと「雨」と関連も深い(版権絵や休日会話、ランダム会話、世長ルートのエピローグ)。
そして、「継希(つき)」は――。
重要なのは収録されている物語だが、タイトルだけでもやたらと意味深なセレクト。