【考察】ヨモギ売りと欲望と快楽の街ハヴェンナ

※2021.5.26 ふせったー再録。
※当たり前のように冬公演のネタバレ。
※真面目な話だけど下ネタばっか。
※ご飯前の人とかは読まない方がいい。
※2021.5.30 別記事の作成に伴い大幅に追記。
※2021.7.12 別記事の作成に伴い一部内容を修正及び統合。

冬公演のオー・ラマ・ハヴェンナは先に考察を行っている方々が触れているとおり、ハヴェンナとチッチたちに、クォーツの生徒たちの関係性、舞台と役者、天使と悪魔、生物界の法則などを幾重にも複雑に重ねた内容になっています。
今回はこの中でもなんとなくわかるけど、見落としがちな冬公演のハヴェンナ的要素、つまりなぜヨモギ売りが淫らで卑しいのか、ハヴェンナが欲望と快楽の街とされているかに触れていきます。

※※※今回扱うテーマの都合上、ここから先は下ネタのオンパレードです。※※※

これは色んな方が触れていますが、まずヨモギ売りについて。

ヨモギ売り
→ヨモギは春の植物で、ヨモギ売りは女の仕事らしい
→春(の植物)を売る女
→売春婦
つまり、ヨモギ売りは売春婦の隠語です。
最もみだらではしたなくいやしい女と罵られるのもこれが理由。
※ワードとして分かりやすいので今回はあえて言い換えをせずに、基本的に売春婦の表記で扱います。不快に感じる方はここで回れ右。

首を絞めて男を眠らせるという仕事は、
・性行為をすることを寝ると表現すること
・女が男の首を絞めて失神させる
→男を男性器、女を女性器に見立てている=性行為での絶頂
さらに、
・仕事をするときにヨモギを焚くという行為
→性行為の時にお互いの体を昂ぶらせる媚薬のお香
ようするにヨモギを売ることは春を売ることなので、そのまま男女のセックスの隠喩です。
ハヴェンナの男たちの不眠症は、欲望と快楽にまみれた生活ーーセックスのしすぎでクスリを使ったアブノーマルな行為でないとイきにくくなった、もしくは満足できなくなった状態を指していると考えられます。
※ちなみに話の内容的にチッチのセックスはドミナ仕込みということになる。

さらにハヴェンナは欲望と快楽の街とされ、作中の描写からその辺を歩くだけでもヨモギの香りがすることがある。
それだけ日常的にヨモギがたかれていて、ヨモギ売りたちが多い街。
→売春婦の多い、欲望と快楽の街
→風俗街
女のチッチは神父に岸を踏めば二度と向こう岸には戻れないと言われていますが、男のミゲルは特に難なく帰れるのも、風俗街から派生して遊女が自由に外に出られない日本の遊郭の決まりから来ています。
チッチが彼に成功すれば街を我が物顔で闊歩できるがしくじれば路地裏のヨモギ売りになる、と忠告されるのもハヴェンナの弱肉強食的な様相だけでなく、遊女には太夫を最上位とする格付けがあることを意識している(言い回し的に花魁道中も)と思われます。
(補足)マシュマロ投稿より。おそらく湖は遊女の逃亡などを防ぐ遊郭のお歯黒どぶのイメージ。通りの名前も遊郭の街の構造を意識しているのでは?とのこと。また、フギオーやルキオラといった芸を生業にする人たちが生活していることなどから、ハヴェンナは遊女繋がりで花街の要素も取り込んでいる可能性あり。

このヨモギ売り→遊女要素のある売春婦、ハヴェンナ→遊郭要素のある巨大な風俗街という図式に気付くと、冬公演は各所にこれらを意識した描写ややり取りがあることに気付きます。

(補足)なぜヨモギが媚薬扱いなのか?
※以下はアブサンについて他の方たちからの情報提供。
冒頭のオー・ラマ・ハヴェンナの歌詞がややトンチンカンで幻覚めいた言葉と表記の羅列になっている。
→ここから実際に歌詞の中にも登場していて、名前がギリシャ語の「ヨモギ」に由来し、原料の一つにも使っていて、なおかつ中毒性・依存性・「幻覚作用」がある「薬」草系リキュールのアブサンが元ネタでは?
(追記)その他、アブサンの名産地の名前がポンタルリエ→ポンタルチア。

これを確認したところ、アブサンはグラスの上に置いた専用のスプーンに角砂糖をのせ、この酒で湿らせて「着火」して下に溶かし落とし、ミネラルウォーターを注いで消火して混ぜて飲む、クラシックスタイルという独特な提供方法で有名なようです。
※あまりにも最悪なネタなので直接書きませんがのクラシックスタイルは色が変わることが特徴です。この色合い、おそらくあの体液に見立てられています……。
その他、煙を吸引して摂取する麻薬のアヘンは媚薬でもあり、ケシから作られています。
ケシはポピーの仲間なので、ヨモギとは春の植物繋がりです。
つまり、冒頭の歌はハヴェンナの人間はヤクとアルコールまみれという表現と思われます。

また、ジャックジャンヌ全体に見られる宗教やオカルト的なネタとしては、聖書――特にヨハネの黙示録にニガヨモギのエピソードがあります。上述のアブサンが元々ニガヨモギを材料に作ること関連させています。
※解説 https://note.com/snowblossom_jj/n/n2a79984397fb

※注意※
冒頭から重ねてになりますが、冬公演は幾つものモチーフを複雑に重ねて組み上げられた内容であるため、ここで紹介する売春婦、風俗街の要素はあくまでたくさんある中の一つに過ぎません。
同じ場面や会話でも異なる意味が幾重にも込められていることはお忘れないようにお願いします。

では、ヨモギ売り→遊女要素のある売春婦、ハヴェンナ→遊郭要素のある風俗街ということを前提として、以下からできる限り話の流れに沿って説明します。

①冒頭のチッチと神父のダンス
冬公演前のやり取りでこのダンスは、少女がハヴェンナの色(=欲望と快楽の色)に染まって女になる描写と言及されています。
チッチはヨモギ売り(=売春婦)になったので、少女が女になる。
→そのまま処女喪失の暗喩です。
また、ここでのダンスは男女が一組になって踊っているのでそのままセックスのことです。
これはダンスと関連させて、その中でもワルツは過去に男女が体を密着させて踊ることから破廉恥なものとして扱われたことなどを意識しています。
なお、夏公演のウィークエンドレッスンでも男女のダンスはセックスの暗喩として使われています。
※夏公演のダンスについての簡易な解説は以下のカンナの項目を参照
https://note.com/snowblossom_jj/n/n4aae5212c3da

ただ、ここで注意すべき点は神父がチッチを初めて買うのはラストであることに意味がある(神に仕える人間がその身を性で穢す=演者のカイのモチーフは宗教的な堕落、自分自身の欲望への自覚)ので、ここでの彼はあくまで欲と快楽に溺れたハヴェンナの男たちの概念であって彼女の初めての相手ではないことです。
倒れるまで踊れ、というセリフもストレートな言い方をすると、死ぬまで男どもとセックスし続けろ!という意味になります。

②ヨモギ売りの仕事、チッチとフギオー
チッチは売春婦なので、フギオーは彼女を買いに来た客です。
チッチの仕事内容と合わせて載せていきます。

1.上着を脱ぐという行為
寝る前に楽な服装をするのとセックスの時に裸になるのをかけています。
チッチの後ろから腕を絡められるが好きという話もフギオーのセックスの好みを確認している訳です。
その後、首を絞められてフギオーは失神しますが、これは先述の説明した通りチッチと体を重ねて絶頂したということです。
このあたりのやり取りに関して、場外の攻略キャラが人によって複雑な反応をするのは、目の前で好きな女(チッチ=希佐)が自分以外の男(フギオー=世長)に性的に迫り、セックスするのを概念的に目の前で見せられているからです。
(CERO BでNTR描写をすな。)

2.膝枕スチル
シナリオの流れとしては後ですが、先に説明した方がわかりやすいので。
膝枕スチルはわかりやすく事後描写です(会話的な流れを汲み取ると前戯の方がより正しいけども)。
眠るだけならフギオーだけでいいところを、チッチまでベビードールのような露出度の高いシンプルな服と裸足になって薄着をしているのはこのためで、スチルは行為が終わった後にピロートークをしている状態です。
チッチの怒りの声をきいて乱入してきたジレを追い返すのも、二人のセックスの邪魔をするな、覗くなということ。
また、ここでのチッチの部屋の背景は、ベッドには二つ並べられた枕、床には乱雑に脱ぎ捨てられた服があったりと、割と露骨な描写があったりします。
(なんでこのスチル、EDで必ず流すんですか??)

3.二人の会話
必要&わかりやすいので以下は台本をそのまま抜粋。
※1のあとの会話なので、ここも事後のピロートークです。

フギオー「もう少し傍にいていいか」
チッチ「朝まではあなたのチカチーナよ」
フギオー「まったく、太陽がうらめしいよ。
君をいつかハヴェンナの外へ連れて行きたいな。
そうすれば君を独り占めできるだろう?」
→ヨモギ売り=売春婦繋がりで遊女ネタ。
有名な「三千世界の 鴉を殺し ぬしと朝寝が してみたい」から。

さらに、次のシーンで仕事が終わってから、チッチはルキオラに会うためにシャワーでヨモギの匂いを落とそうとします。
けど、よく考えたら不自然。
・匂いを消すなら強い香水などでもよい
・作中に出てくるヨモギ売りの仕事は力がいりそうだが汗を大量にかくものではない
・ここからヨモギ売りの部屋または店に特に必要がなさそうなシャワールームが併設されていることになる
なので、ヨモギ売り=娼婦と考えると、この会話が仕事の後(事後)であることから体についた性行為の汚れ(体液)を落とすためとわかります。
(本当にCERO Bなんですかこれ。)

4.チッチの立場
ジレとの会話からチッチは、ヨモギ売りの中でも上客ばかりでポンタルチアの稼ぎ頭であることからわかります。
ヨモギ売りは売春婦ですが日本の遊女的な要素も取り込んだ存在です。
ここから、チッチは遊女でいう太夫などにあたりヨモギ売りとしては高位で、店の内装もそれなりに豪奢なことなども考えると、買うためにそれなりの立場や大金が必要であると推測されます。
なお、ドミナはチッチの稼ぎを大したことがないように言っていますが、彼女に思うところがあるので嫌み、かつ立場的にフギオーがジレに金を投げつけたように金銭感覚が狂っている可能性が高いです。
さらに、フギオーはそんな高位のヨモギ売りであるチッチのところに足げく通っている訳なので、風俗店に頻繁に出入りする醜聞をもみ消すことができ(→世間的に清廉潔白と言われている)、なおかつ金を湯水のように使っても問題がない(→チッチやミゲルの会話からカジノで大金を浪費することもあるらしいのがわかる)――それだけハヴェンナにおいて金も権力も地位も欲しいままにしている怖い男だと思われます。
※ルキオラはフギオーがカジノに行くことを否定していますが、彼女は彼の裏の顔を知りません。チッチとミゲルは逆に知っているのですから、ジョークとして持ち出した内容であってもある程度事実に基づいている発言と解釈する方が自然です。

さらに、ここまでの内容と合わせてチッチとフギオーのやり取りを見直すと、大きく見え方が変わる点があります。

5.届かない想い
フギオーがチッチに惚れているのはよく分かりますが、現代的な感覚にあてはめると(ものすごくキツい言い方をすると)風俗業の嬢につきまとうガチ恋の迷惑客に見えてしまいます。
しかし、これは間違いです。
ヨモギ売りは売春婦ですが遊女の要素を備えているため、金銭などの条件が揃えば身請けが可能で、フギオーがチッチにしていることも迷惑行為にあたらない、それなりにありふれたことだからです。

(以下、台本を抜粋)
フギオー「地位も名誉も金もない君になにができる」
ジレ「地位も名誉も金もあるのに、ヨモギを買うだけのあなたに言われたくない」
フギオー「なんだと」

この会話はヨモギ売りが遊女と同じく身請けができる存在で、4の考察とあわせてフギオーはそれを無理矢理にも実行するだけの力があることを示しています。
しかし、それを行わないのは世長が作中で解説している通り、フギオーがチッチを心から愛しており、彼女をものとして扱いたくない――自分の意思で選んで欲しいからです(希佐に対する世長もそうですよね)。
ハヴェンナ育ちでチッチの考えを理解できないフギオーですが、彼なりの純愛を捧げていたのを、よりによって自分より遙かに下位にいる上に事情を知らないジレに激しく侮辱されたわけです。
※なお、終盤にチッチをこっそりフギオーが連れ出すのは、正規の手段ではないようなので身請けではなく、時代劇などでよく見る遊女と男の逃避行の方。

また、チッチはルキオラが大好きですが、フギオーにそっけないのは彼が客だからでも、嫌いだからでもありません。

(以下、台本を抜粋)
チッチ「花を投げて渡すなんてするから。どういうつもりだろう?」
ミゲル「案外、君に投げたんじゃないのかい? だって……。
君が会場で一番可愛かっただろうから」
チッチ「……だから軽いって言われるんだよミゲル」

ジレ「あのフギオーだって君に首ったけだ。アイツの口説き文句を聞いていると、耳がこそばゆくなるよ」
チッチ「彼はハヴェンナの人気者よ。ヨモギ売りなんて本気で愛するはずがないわ」
※ここはゲームの冬公演からはテンポの都合上、描写が省かれている部分。

フギオーがチッチに対して本気であることはミゲルやジレもなんとなく気付いていて、指摘しているのですが、チッチは自分を卑しい存在と思い込んでいる(※ルキオラとの関係が顕著)ので全く理解できていません。
彼女がそっけないのは価値観や立場の違いなどから真剣さが伝わっていない、いずれ飽きたら捨てるような遊びだと勘違いしているためです。

6.ルキオラが見たもの
終盤、ルキオラはチッチの正体をしるべく店に乗り込みますが、そこはちょうど彼女がフギオーを相手に仕事をしているところでした。
もうここまで読んでいる人はお察しかと思いますが……。
ここでのルキオラのフギオーに対する暴言のファルサ男を読み解いてみます。

~ファルサ男~
多くの人が先に触れていますが、ハヴェンナの言葉はほとんどがラテン語を文字ったものです。
よって、このファルサは英語のfalse(偽の、嘘の)=ラテン語のfalsusだけではなく、フギオーがチッチを買った=売春が行われている場所にルキオラが乗り込んだシーンで使用された罵倒のため、陰茎(特に勃起した状態のもの)を指すラテン語のphallusも兼ねていると考えられます。
※なお、最終公演のイザクとかけて坂口安吾の「FARCEに就て」から道化の意味も持ってきて、文脈的にトリプルミーニングを狙っている可能性があります。
要するに、ルキオラはフギオーにこの勃起t○k野郎!と言ったわけです。
(さすがハヴェンナの女だぜ……。)
※ハヴェンナ語についてのより詳しい考察は下記を参照
https://fusetter.com/tw/IfXelTSP#all

これを考慮すると、ルキオラは自分の大切な友達と憧れの男性が、本来自分のあずかり知らぬところでちょうどウコチャヌプコロ()しているところを見てしまったわけです。
(そらあんなキレ方もする。)

③チッチの本音
チッチのただヨモギ売りになってみたかったという言葉。
今回の主題から外れるので詳細な解説は省きますが、これはハヴェンナに遊郭以外のもの――ここではユニヴェールも重ねていることからくる言葉で、希佐が女であることを隠しても夢を叶えたかったという意味です。
しかし、これをヨモギ売り=売春婦の図式で読むと、
私、特に理由はないけど淫らで卑しい仕事に就いて、自分の体を男に売ってみたかったの。
という意味になるので、生まれも育ちもハヴェンナのルキオラやフギオーたちは理解できね~となるのです。
※世の中に自分から望んで、そして好きだから風俗業をしている人も中にはいるが、ハヴェンナ的にはそうなってしまう。

(余談)ちなみにチッチ=希佐を買った男たち、フギオー=世長、神父=カイはそれぞれのルートで肉体関係の仄めかしがあり、その頻度も冬公演の内容と一致しています。
ミゲルは設定的にはチッチを買っていますが、(複数理由はあるけどもわかりやすいのは)冬公演の中では舞台でも台本でも描写はされていない、演じているフミは玉阪の外の高科流の人間なので、この法則から外れるようになっているようです。

・フギオーは3回
世長は2月24日、ED後(よく見ると夜に希佐の部屋で寝てます)で2回。
フギオーは三回目の時にルキオラの乱入で行為を中断しています。
よって、三回目は隠されたところにある2月24日の特殊セーブスロットに該当。
これで合計三回です。

・神父は1回
カイはバレンタインの1回のみ。
一瞬の暗転なのと世長のように前戯めいたやり取りがないのでスルーしてしまう人が多いようですが、この後から希佐がアルジャンヌとして騒がれ始めます。
これは①の神父とチッチのダンスと同じで男を知って少女が女になった表現です。

ちなみにもっと言えば、冬公演の性表現の頻度=希佐と世長、カイの肉体関係の頻度ということです。
※冬公演の役とキャラ同士の精神的な関係性はそれぞれのシナリオの展開や背景、テーマが同一ではないのでまた別のものです。
なので、フギオーが足繁く彼女のところに通っている設定、世長がED後に当たり前のように希佐の部屋で寝ていることを考慮すると……。
その、つまり希佐と世長は世長ルートではわりと日常的に……。
(そろそろ世長はCEROに謝りなさい……。)

さて、主だった部分の解説は以上になりますが、世長はおそらく(あくまで一要素として)ヨモギ売りに売春婦を重ね、作中で繰り返し性行為を描いていることに気付いています。
だから、自分がフギオーでよかったと言うのです。
チッチ演じる希佐を長く愛し、かつ激しく執着している彼からしたら、演技とはいえ他の男と肌を重ねまくる彼女は見たくないどころではないので。

その他、世長の初期モチーフである身毒丸は遊郭を意識しているような演出が入っているシーンがわずかにあるようです。
冬公演は本来それぞれのキャラクターのゴールになる内容だったものをあえてここに詰め込んだらしいのでその名残かもしれません。

【総括】皆してCEROとユニヴェールに対してチキンレースを開催すな。
(この学校、頭おかしいわ……。)

~以下、オマケのルキオラちゃん暴言集~

※お知らせ※
ハヴェンナ語の個別記事作成に伴い、過去に記載していた内容の統合を行いました。
現在は下記リンクから閲覧が可能です。
https://fusetter.com/tw/IfXelTSP#all