【小考】プリンケプス二人

※fusetter(2023.4.9)再録。

マシュマロからリクエストがあったジレに関するちょっとした考察です。
あくまでフギオーとチッチを軸にした考察から派生したものなので、まず前提となる二人のモチーフについて説明します。
彼らの参考にされたと思しき戯曲や物語は複数ありますが、その一つが『美女と野獣』です。
ただ、現在一般的に知られているバージョンではありません。
よく童話として語られる、ディズニー版の元にもなった『美女と野獣』はその内容を約9分の1にまで要約されたボーモン版と呼ばれるものです。
フギオーとチッチの元になっているのはそれよりも古いバージョン、ヴィルヌーヴ夫人による原典(以下、ヴィルヌーヴ版と呼ぶ)です。
このヴィルヌーヴ版『美女と野獣』、野獣にされた王子の呪いがベルの愛によって解けるという筋書きはボーモン版と同じですが複数の相違点があり、それが実は世長ルート全体のポイントにもなっています。
ここはフギオーとチッチだけではなく、世長と希佐、イザクとシシアを絡めた方が分かりやすく手短に解説できるので下記にその一部を紹介します。

①才気ある美貌の王子は育ての母(魔女)に邪恋を抱かれ、その感情を拒絶した結果、逆恨みによって『愛』を得なければ元に戻れない野獣の姿へと変えられる
→世長の元ネタ『身毒丸』のさらに原典である『俊徳丸』『愛護若』に関連している。
『俊徳丸』の主人公・俊徳丸は義母によって失明と容姿が醜くなる呪いをかけられ、恋人・乙姫の愛と献身によって救済を得るという類似した物語構造を持つ。
※そもそも世長と希佐の関係性は『身毒丸』ではなく『俊徳丸』の俊徳丸と乙姫がベースと推測される点が多い。
『愛護若』の主人公・愛護若は義母に邪恋を抱かれ、その感情を拒絶した結果、逆恨みによって悲劇的な末路を辿るという共通点を持つ。
また、俊徳丸も愛護若も才気と美貌を兼ね備えた良家の子息という設定がある。

②野獣となった王子の呪いには愚者として振る舞うことも含まれており、容姿の美しさだけでなくその才気(賢さ)にも著しい制限を受ける。
故に呪いをかけられた後の王子は獣と愚者の双方の意味を持つ野獣(ベット)と呼ばれる。
→世長は希佐のパートナーとなる秋公演までその才気を発揮できない。
※JJではパートナーを組むことがJAとAJの組み合わせを中心に比翼の鳥≒番の表現となっている。
冬公演と最終公演には綿密な対比があり、世長は
フギオー≒高嶺の花であるプリンケプス≒王子
イザク≒獣の姿であり道化(愚者)≒野獣
という二つの姿を持つ(二面性)。
また、世長のテーマ曲のタイトルも「Heads Or Tails」=表か裏かであり、二面性をイメージして作成されたものである。

③ベルは自分に尽くす愚かな野獣と夢の中に現れる謎の美青年(王子の写し身)との間で揺れ動く
→世長、スズ、希佐の関係性。
特に春から夏にかけてが顕著。
スランプに苦しむ器の世長≒愚かな野獣
JA候補として活躍する華のスズ≒謎の美青年
舞台でスズのパートナーとなる希佐≒ベル
という図式。

④野獣は一目見た時からベルを深く愛してしまい、醜い姿で愚者を演じねばならない自分の元から彼女が消えることを強く恐れる。
→世長の不安定な感情そのもの。
フギオーのチッチの傍にジレがいると眠れない、彼女を独り占めしたいという部分にも繋がる。
『夏劇』の世長版不眠王で娘が他の男に奪われてしまうのも、自信のなさと希佐が自分の前を去る不安や恐怖が世長の中に深く根付いているためである。

また、ヴィルヌーヴ版『美女と野獣』はアプレイウスの『黄金の驢馬』という小説に収録されている「クピドとプシュケー」の物語の影響を強く受けています。
こちらは愛の神・クピドと人間の美女・プシュケーの身分違いの恋物語です。
主に
王子/野獣≒クピド
ベル≒プシュケー
という置き換えがなされています。
このプシュケーという女性は後世の美術作品などで蝶をシンボルとして描かれるようになりました。
髪飾りの形状などが分かりやすいようにチッチが蝶(蛾)をイメージしたデザインとなっているのはこのためです。
※過去に別記事にて解説したように根地のトラウマ要素でもあります。
https://note.com/snowblossom_jj/n/n2cd823c712cf
つまり、フギオーとチッチは

フギオー→プリンケプス→王子
チッチ→蝶のイメージ→プシュケー→ベル

というように『美女と野獣』をイメージした二人一組のデザインになっているのです。
また『黄金の驢馬』の中でクピドは神、プシュケーは人間という身分違い故に、姿が見えない夜の閨でしか愛を交わせないという制約が登場します。
これが

・フギオーとチッチはプリンケプスとヨモギ売り→ハヴェンナの中での身分違い
・ポンタルチアでの限られた逢瀬→二人の密やかな夜の閨

とリンクしています。
これで多少ではありますが、フギオーとチッチに『美女と野獣』のモチーフがあることが伝わったのではないかと思います。

さて、ここでようやく今回の本題であるジレの登場です。
先に述べた通りヴィルヌーヴ版『美女と野獣』でジャックジャンヌの物語を紐解いた時に、スズは夢の中に現れる謎の美青年(王子の写し身)に置かれています。
これが実はそのまま冬公演にも反映されているのです。
冬公演における世長とスズは、二人とも本来のイメージとは真逆の役を演じています。
器寄りで控えめな性格の世長は華やかで自信家のフギオー、華寄りで行動的な性格のスズは暗く煮え切らないジレというのがポイントで、役のモチーフも実は外と内が反転しています。
つまり、

王子の姿をしたフギオー→中身は世長のためその本質は呪われた野獣
力を持たないジレ→中身はスズのためその本質は夢の中の謎の美青年(王子の写し身)

という構図です。
これが分かるのがジレがナイフを持ち出してフギオーとチッチに迫るシーンです。
ヴィルヌーヴ版『美女と野獣』にも夢の中で謎の美青年がベルを前に類似した行為を行うシーンがあるのです。
以下、抜粋して比較します。

・冬公演台本
フギオー「教えてくれよ、チカチーナ。
君の助けになりたいんだ」
ジレ「チッチ!」
ジレが駆けつけてくる。
その手にはナイフが握られている。
チッチ「ジレ!
……あなた何を持っているの?」
フギオー「ナイフ……」
ジレ「まったく大したお星さまだ。
まさかチッチを連れてハヴェンナを出ようとするなんて」
(中略)
チッチ「……ダメよジレ。
彼はアグァクラブのプリンケプスよ。
噂はすぐに広まるわ」

・ヴィルヌーヴ版『美女と野獣』
※夢の中で謎の美青年がベルに話しかけるところから
「何があなたを苦しめているのですか、愛しいベルよ、何があなたを不安にさせるのですか。私のあなたへの愛の名において、どうか教えてください。
(中略)
あなたを悲しませているのはベット(野獣)の姿ですか? ならばそいつを追い払ってやりましょう」
こう言うと、謎の青年が短剣を取り出して今にも怪物の喉をかき切ろうとするように見えました。
(中略)
なんとかしてベット(野獣)を守ろうと、彼女(ベル)は声をふりしぼって叫びました。
「やめて、人でなし! 私の恩人を傷つけないで!」
※引用:ガブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ『美女と野獣〔オリジナル版〕』(藤原真実訳)白水社、2016年、p.52より

冬公演の物語に合わせてニュアンスやセリフなどは修正されていますが、ジレが終盤で脅しの武器にナイフ(≒短剣)を選んでくるのはこういう訳です。
ジレの存在はバレエ『ジゼル』で冬公演を読み解いた時も関わってくるのですが、それはまた別の機会に。