一億総論大批評時代みたいなものは、もう終わった。ほぼずっと無理な延命策をしようとしてここ10年は失敗し続けてる上に、虫の息より悪い方向に行っている。

楽しみたい奴が楽しめばいいの 批評や寸評で解った気になったり

ハイ論破みたいな時代自体は終わったと思う。

なんでか? どこのだれか知らんけど偉い人が言ってるから

この壺はいい壺だ。というのは、出典や歴史が解るカルチャーだからこそ

これが生きるだけ。

サブカルチャーをけん引してるのは、批評家でもないんでもないファン層なのではないですか?

それともインフルエンサーさんが言ってるからこれが確かにいいものなんだ。

とか本当に思ってる?

80年代のカルト宗教やら、ワイドショー嫌いでも知ってるような

ワイドショーニュースショーの飛ばし記事やタブロイドゴシップ

伝説の映画「コミック雑誌なんかいらない」と同じく

足で稼ぐ記者の2追い3追いで解ったつもりになっても。

当人たちの気持ちなんて多分わからんよ。

ドキュメンタリー作品がサブカルチャーじゃなくなることが

あるかどうか知らないけど。

自分がそのカルチャーと共に成長したいって層がいないカルチャーは

滅ぶだけだと思ってるよ。

#記事

#批評雑誌が紙媒体でもデジタル媒体でも売れない理由

追記:20210820 15:23

企業が危機感をもって個人インフルエンサーブロマガをサービスすると

思われても仕方がないようなサービスの終了の仕方をする事についても

そう思う根拠の一つです。

個人発表伸びしろ期待しているわけでもなく、あくまでも

ビジネスパートナーのお仕事の邪魔にならないようにする。

企業としては健全に当たり前かもしれませんが、クリエーションの自由とか

プラットフォームの在り方って何でしょうか?

よく考えたいものですね?

https://secure.nicovideo.jp/form/entry/userblomaga_thanks

同業他社との競合を減らすといえば、口触りのいいいい方になりますが、

プラットフォームとして事業をしているというのならば、発表コンテンツの

投稿場所を閉鎖的に情報を提供するものは選別する。

個人の排斥を行う時点で、クリエーター奨励プログラムコンテンツと言っているクリエーター個人を本当に見ているのか

俺には解らないよって点が一つ。

企業として認められているから絶対的な信頼がされているコンテンツが提供されているといえるのかというと。機関の情報コンテンツであり、機関にとって不利益なものは排斥されるわけで。

平等な議論を起こすためのプラットフォームではないと理由づけになるでしょう。

責任の所在の分散のために、ほかのサービスを併用してください。

まあこれも企業ならリスクマネージメントして当然の言葉ですが。

要は無責任、当事者で解決するために極力関わりたくないですよ。

と言ってるだけになります。

何が中立なんだろうね?