生きる理由なんてないから 生きようと必死にもがいてる人たちが、生きる理由を作って一所懸命に現実を動かしている

生きてる意味を教えてくれ 答えをくれよ なんていわれても
ないんだよなぁ……

義務教育という形から脱線したり
学校の先生に都合のいい学生だっただけじゃ
そんなものはあり得ないんだ

子どものころから 将来設計の意味で どうやって稼ぐかの訓練をする
ものづくり補助金 やら 継続支援事業(SDGs)こういう考え方や
助成金という考え方 一部の人間だけが得をしている状況ではなくて
ただ、もう一度改めてただけなんだよな。


互助会という扱いのものだったのだから
互助会枠として芝居を見に行くなど企業レクレーションがあったとか
そういう状況が敗戦後の日本にはあった

バブル前の高度成長期とされる日本 過労死ラインぎりぎりで働いてる企業マンばかりだった。それを見て育ってるからこその団塊の世代が横暴に映るという所があるはずだよ。 自分の時はこうだった。 そんなもん知るかよ
親だろ子供の将来左右するなよとか どう考えても"毒親"だとか
子どもたちが理由を付けて 親に反抗したくなるし 親は自分の経験上でしかものが言えないので 適切解のつもりで 「あなたのためを思って」
「愛してるから行動してる」 そんなもの必要ない 好き放題に遊び惚けたいとか もっと夢を見させてほしいだとか 親でもない 他人にも コドモメンタルな人は求める。 その時点で気が付けよ。 興味もねえヤツやらに金かけるかよ、自分にとって何かしらの利益があるヤツにしか基本的に好意的になれないし。

満たされるのが当たり前になれば どんどん獣のようにわがままになる。

日本もそういう傾向が強くなっていると、もしくは自分が見ているから表面化しているだけなのかもしれないが、フェミニスト自称だとか 白人至上主義の奴隷解放は財産の侵害だったと思っている一部の人間は普通に目の当たりにするし、 ハウスキーパーへの扱いと留学生の受け入れで客をもてなす留学生を受け入れる家庭 海外でホームステイした人間ほど現実を見てる それを知る機会もたくさんある。 海外では顕著だ。仕事をする人間は 完璧に仕事をこなすべきだ 客人はもてなすべきだ という 恐ろしいくらいの区別を目の当たりにする。 日本でいうと、銀行が最たる例で減点式で仕事を回されて他地方に飛ばされたりも、ざらな話だ。 仕事をどこかあきらめて、上に文句言えば飛ばされるだけなので 自分の地位を確保するために必死になるこんなのも当たり前だし 新人への擦り付け 手柄の横取り 現実の企業だと 往々にしてある。 生きる理由づくりをしてないと生きる理由なんてなくなるし 未来に期待したいとか いわないし いう必要もなくなるし 食べるために精一杯で 心を動かすこと自体が無駄だと思い始めてもおかしくないのだ。 夢だ希望だを子供に送り届けるべきだ そりゃそうやろな 子孫がいる人はそれでいいんだよ 孤独まっしぐらで 誰からも愛されることなく死んでいく独居の事なんてどうでもいいし 子供の方が未来がある 子供の方が というか 生きている方が財産を作って 何かを生産するのは解りきっている。 もう触れたくもない 中学の教頭が
「10人の未来ですよ、一人の閉ざされた未来より大事じゃないですか」
みたいなパワーワード 一人の親からすれば なんて残酷なことを言う教頭だろうになるのは当たり前で 全体主義しか見ていない 生徒を数でしか判断してない 数字しか見ない大人からすれば これは合理的なはずだ と思い込む 改めて考えると そいつはそうやって生きてきた たまたま 表に出てきただけ 
親があきらめて 「もういいです、希望を持つことも疲れました」
となれば 隠蔽されてて 表面化しない そういう意味での村社会が起きてもおかしくはない だってねぇ 表立って嫌いっていう理由必要ないんでしょ? その時点で事なかれ主義の愚の骨頂で 人狼ゲームみたいな腹ゲー
 表に出さないことで潜在不和を抱えたまま いつかの空中分解まで抱えてる状況をつくるんだよ。 その時点で数字しか見てないし 一人を大切にしてるわけではないんだ。 未来子孫を作ることが予定されてる私たちを優遇しろ。生産性のある私たちを優遇しろ。そう思う人たちがいて 普通なんだよな こう考えるとな。 一人で生きていくしかない人にも生活があるとして それは自己責任でしょ と なるものでしょ。 自分は優遇されたいし
誰よりも大事にされてることを実感して わがままを言いたい。 明らかに狂った発想ではあるが、そうされるべき人間がそうされてるはずであるなら
だれも疑わないんだ。 違和感を感じたのがただの少数であれば、それ自体がマイノリティーなだけだし。 ノイジーマイノリティだと思い込むことも簡単 自分がくるってるとは思わないで 他者がおかしい と 攻撃の手を緩めないでいられる。 もしくは 自分たちはか弱いので そんな力あるわけないでしょう 数で上回ったとしても おかしいと思われるなら 否定されるはずでしょう。 弱さという武器で 手加減を望むし ずるく生きなければいけない自分の狡さは普通は隠すものだ。 相手に許されると思うと、ずに乗る。 トライアンドエラーで一番楽な方法を探していく。
先人は それを公開する義務があるんだとかいいはじめる。自分が新規参入なら、あぁそういうもんかな?ってなる だって知らないものね どういう状況で既得権益化してるかとか 状態維持されてるか 来訪者の意味だと
知らないし解らないし ガイドしてくれよ とはなる。

だからといって 無償でフリーソースで 状況を提供しろ よく考えたら
来訪者何様なの? 新規参入してほしい事業ではなくて 儲かるからしたい
もしくは 自分の個性が表に出るからしたい で、しかないじゃない。

こう書くとよく出てくるのが 特権階級意識で お前自体が上にすり寄ってるんだ "俺たち"は間違ってない "お前が間違っている" 図式的に出てくる話だ。 極端な善は孤立するっていうじゃん そういう意味では そんなものだよ。 建前と本音を使い分けるから 大人なんだよ と言われる。
それが事実だし使い分けるからこそ処世術なんだよな。 本音しか言わない人 コストがかかるし熱量の意味で面倒くさいんだよ 自分は好きなことしたいし できれば楽をしたい人からすれば そういう行為に関わるわずらわしさ それの方が先に来ていて 自分でやれることはやってほしい。

一から教えてと言われて それにたる報酬がもらえてるとは思わない。
時間が有限だからこそ 自分の時間減らしたくない。そう思うから
「自分の時間がない」などに嘆いたり「自分がやりたいことに時間がない」事に不平が言える。 すでに解り易い前例あるから調べてだとか
本出てるのでそれ見て読んで とか もう個人見るのが面倒くさいってなるのも、ざらの世界だ。 夜回り先生 助けてください の返答 本に対処法まとめたからそれ読んでよ。 この時点でそんなものだよ 損な役回りばかりしていた人は 自分が都合よく利用されていただけみたいになって 個人に寄り添うことに絶望していく。 個人というのは個人なのだから、要用に悩みを持っている。 個人の自分の悩みに寄り添ってほしい。 大多数にある悩み解決方法じゃなくて、自分を見てほしい。

承認欲求なんてそういうものだし、あきらめている といえば
その餌に あきらめるなよ と寄ってくる人たちがいるのだ。
宗教だったり出し抜こうとしたり 自分の自己承認欲求を満たすために
善意のつもりで寄ってくる それをしたたかに 音頭を取ってお金を稼ぐ

豚は肥え太れ という言葉がある 金持ちのところに貧乏人が投げ銭を投げるというのと同じ意味での皮肉だ。 豚が死んだとき 財産が分与されるかもしれない期待、それの外はない。 あれだけ出資したのだから分け前をくれよとか それを言うために虎視眈々と狙っているやつだっているわけだ。

生きてる理由なんて 作っていくものだし 生きている時間の有効利用を暇つぶしや夢で補って 生きてる実感をごまかしている。

後悔はしてからやれ、まぁこれも犯罪じゃなければだし、保険はかけなさい。リスクは考えなさい。 対処方法は用意しておきなさい。
全部当たり前なんだ。