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みせる顔の違い

わたしの名前は、喪黒福造・・・ではなくて。
早朝やっている「あの人に会いたい」という10分番組で、つい最近、安孫子素雄さんだったので、ついつい大好きな「笑ゥせぇるすまん」を思い出してしまいました。プロゴルファー猿も大好きで、漫画全巻持っています。

手塚治虫さんに憧れ、藤本弘さんと二人で漫画を書き始めたそうですが、真似していると永遠に手塚治虫さんには及ばない。
そこで、手塚治虫さんが漫画に取り入れていない「日常生活」をネタにしようと、2人は執筆の方向性を決めたそうです。

オバケのQ太郎が、社会現象になり、一躍スターダムに。その後の活躍は、言うまでもないですよね。藤本弘さんとコンビを解消した安孫子素雄さんは、その後人間の裏の感情を表に出す漫画を描くようになりました。
この、人間が表に出さないブラックな感情を表現したものは、人の心にグサッとくる魅力がありますよね。

つい最近、とある小説家の方のセミナーに参加しました。
すごく面白いセミナーで、動画を3回ほど再生して聴いてました。ここまで何度も繰り返して観ることってあまりないので、本当に面白かったのだと思います。
何が面白いかと言えば、その小説家さんの人間的な魅力ですね。深みというのでしょうか。掘っても掘っても底が見えない、そのためどこまでも掘り続けてしまう、ついつい追いかけたくなる、そんな魅力です。
さすが小説家なので、語彙が豊かで表現力も長けています。思考力の深さと相まって、効果的に言葉を操ることができているのです。羨ましい力です。
そのため、久し振りに研究関連以外で本を買おうという気持ちになりました。その方の小説を読みたいです。
メジャーな方なので今更感満載ですが、買います!!!

その小説家は、人物を描くときに、同じ人でも相手が誰によるかで見せる姿が変わるという話をしていました。
それは裏表というより、相手との関係性の中で表出する自分の面が違うのは、多少なりとも誰もが持ち合わせているのではないでしょうか。

例えば、会社で部長職の男性が、職場で部下にみせる顔と自宅で妻にみせる顔が違うとしても、別におかしくないですよね?
どちらも威厳をもっている姿しかみせませんというポリシー?の方もいるかもですが、ずっとその姿で居続けるのは、なかなかしんどいと思うのですが。

そういえば、THE ALFEEの高見沢俊彦さんは、自宅でもスーツを着ていると言っておりました。プライベートでも常に「高見沢俊彦」であるためと言っていたような気がします(違っていたらごめんなさい)。
私は、家に帰ってきた瞬間に着替えます。だって、料理するのに服に油がはねたりしたら困るじゃないですか。
今日も、帰宅してすぐ夕飯の支度に取り掛かったのですけど、急いでいたのでそのままの姿で野菜を切って、炒める段階で、夏休みで家にいた次男に代わってもらい、着替えに行きました。

服装というのも、違う自分を演出するのに、大変良いアイテムですよね。
メイクもそうですが。

そう考えると、人によって違う顔をみせるのも、別におかしくもないですし、同じ人相手だとしても、シチュエーションで違う自分をみせるのも、よくあることですよね?
この場合は、「見せる」より「魅せる」でしょうか。


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