短編小説『陽光』

 なにかになりたい、そうはっきり思ったことはあまりなかった。ただ、死にたくはなかった。だからと言って、必死に生きようと心に決めていたわけでもなく、ただ流れていく日常を傍観し、その生活の意味というものを咀嚼してみようと試みているが、どうにもうまくいかない。
 音楽は好きだ。でもかつて英語の授業で習ったビートルズが退屈に思えるようなロックを聴いている自分がかっこいいような、情けないようなものに感じて、ロックに影響されてギターを弾いてみるほどの根性はない。一体どうしたものか、僕は半ばあきらめている。

 部屋と部屋を仕切っている壁が薄いせいか、祖父が朝から掃除機をかけている音で目が覚めた。小さい部屋の散らかっている中の布団の中で僕は服もちゃんと着ていないことに気づく。分厚い布団の中とはいえそんな状態になっているのは、必死でなくても人として生きていくという観点ですら赤点を出してしまうだろう。布団の横に転がっている寝間着を取って、頭からかぶったところで掃除機の音が止まった。『少しはシャキッとしなさい』といつか母が言ったのを思い出して、洗面台に顔を洗いに一階に降りて行った。
 掃除を終えて、ご満悦な様子で靴を履いていた祖父は仲間とゲートボールをするとか何とか言って、堕落した僕のほうに明るい笑顔を見せていた。「面白いのかな」と誰に聞くでもなく独り言をつぶやけば、「結構面白いみたいよ。近所の人と話しながらするからボケ防止にもなりそうだし」と母が言った。洗濯物を干そうと窓を開けたようで、その隙に冬の朝特有の、乾いて冷たい風が薄着の敵として目の前に現れる。僕はそれを横目に無視して鏡の前の自分と対峙する。いずれ、僕もこの寒さに倒れてしまうような老人になってしまうのだろうか、と思うと少し顔がムッとした。いや、格好良い表情を探し始めた。
「それじゃあ、行ってくるよ」
 と玄関から出ていく祖父に「行ってらっしゃい」と声をかける。母の言う通り、本当に楽しそうな様子である。
「今日、どこか出かけるの?」
 母がこちらに向かって言う。母は寒そうに手をこすり合わせて窓を閉じて台所のほうへ歩いて行った。
「どこかには行くかも。たぶん。シャワー浴びてくるわ」
と特に考えずにそう答えた。
 起きてから、一度も窓の外を気にしていなかったが、雲一つなく太陽も出ていそうな日だということに気づいたのは浴室に入って、「寒い、寒い」などと言ってシャワーが温水になるのを待っていた時だった。小さい擦りガラスには水色の水彩絵の具をバケツに落としたような青が広がっている。そこから差し込む光が白い湯気を照らしているのを確認してから浴びた。顔に当たる水滴が身体の一部になるような気がして、普段より念入りに身体や髪を洗ってから浴室を出る。
 体を拭きあげて服を着る。それからドライヤーを使って髪を乾かし、歯を磨く。いつもと変わらないルーティンというものを履行していく。そうしたところで、部屋に戻った。
 お気に入りの上着を羽織ってまた下に降り、ソファーに座る母に「出かけてくるわ」という。母は「いってらっしゃい」とだけ言っていた。テレビのよくわからない番組を見ているようだった。その番組の微妙に面白くしようとしているところに、少し顔が緩んでしまうのを、どうにか無視して玄関の扉を開く。

 外の空気は、先ほどと変わらなかった。しかし、とても重苦しいものではなくむしろ口を縛った袋のような柔らかさがあった。狭い路地に狭苦しく並ぶ民家の駐車スペースには車が止まっている。わざわざ、こんな休日とはいえ、冬の朝からどこかに行こうなどとは考えなかったのだろう。空はやはり雲一つなく遠くまで澄んでいる。いつもより、足音を立てて歩いているような気がする。そうして、ふーっと息を吐きだすと白い息が日の光に照らされる。本当に寒いことを認識してから駅のほうに歩き出した。路地を出て、多少広い道路に出る。いつ起きたかということはあまり気にしていなかったが、もう太陽は十分に登っている。
 左を見ると祖父がボールを打とうとする瞬間だった。ゲートボールの詳しいルールは知らないが、地面に置いてあるゲートにボールをゴルフのように近づけるというようなものだったような気がする。ゴルフと違って相手の邪魔をしたりするスポーツだということは祖父が道具を買いに行ったときに店舗のボードに書いてあった。
「洋さん、ナイスショット」
 祖父が転がしたボールはゲート通過を狙うにはとてもいい位置に転がったような気がする。老人の中の一人がそう声を上げて、同じチームらしい人々は笑顔を浮かべてうれしそうにしていた。しかし、そのあと他の老人が打ったボールがそのボールを追い出したようで、祖父は悔しそうにしていた。あまりじろじろと遠くから見ているのも悪い気がして、歩き出そうとしたところに、自衛隊の哨戒機が頭上を通り抜けていった。近くに駐留している空母艦載機の爆音ほどではないが、それなりに響くエンジンの音にさえ気にすることなく喜んだり、悔しがったりする祖父とその仲間の姿があった。

 近くの駅から電車に乗ってどこか違う駅に行ってもよかったが、借りたい本があったことを思い出して駅前の図書館に向かった。朝早いこともあって人は少なかったが、子連れのお母さんが手を引っ張っていく様はまさに休日の図書館という感じだった。中に入って、暖房が効いている空間が迎えてくれると、マフラーを巻いているのは行儀に反するような気がして取った。左手に進めば児童図書のコーナーがあって、そこに多くの人がいたのが見えた。右手にある階段を下ると、それほど人はいなかった。様々な本が並ぶ中で僕はある小説家の名前を探した。あいうえお順で並べられた日本人作家の分類の中からお気に入りの作家の名前を見つけ出したが、そこに目当ての本はなかった。
 図書館を出る。朝食も食べずに外を歩いているので、腹がすいてくる。それでも、飲食店には入らず、近くの雑貨店に入って、買いもしないが商品を眺めるだけ眺めた。結局僕は昼食もとらずホームで電車を待つことになる。冬場の防寒具でホームは華やかな商店街かなにかのようだった。人が集まって、なかなかやってこない電車を待つ。
 電車に乗り込み、まず目に入ったのは進学塾の広告だった。チラシの上には問題があって、どこの学校の問題だということが書かれている。今でこそ、頭がいいかと言われればそうでもない、自分のレベルにあった居心地の良い場所に収まってしまっているが、こういった進学校に行ったらなにかが変わることがあるのだろうか。友達と馬鹿みたいに笑って、女の子と遊んで楽しくなるような場所なのだろうか。そう考えたところで無駄なような気がして、問題から目を離した。外の様子を眺めようとして視点を下げると、目の前のシートには暖かそうな格好をしたカップルが座っていた。手を繋いでいる様子を見て、僕はコートのポケットになにか入れていたような素振りをした。
 世間はもうクリスマスを迎え入れる準備をしている。駅前には自分よりはるかに背の高いクリスマスツリーのオブジェが立っていて、それより背の高い家電量販店の建物はまるで自分がサンタクロースにでもなったような様子で喋るスピーカーが設置されている。子供たちが目を輝かせて店頭のゲームを眺めている。その横を通って、家電量販店に入る。ここでもただ商品を眺めるだけだった。父や母はここでクリスマスプレゼントを買ったのだろうか、と考えればここが北欧のように感じた。いろんなものがあるが、夢などどこにもなく、ただ手を伸ばせば実在するという事実だけがその場にあるだけだった。

 帰ろうと思ったのは、父が寿司屋に連れて行ってくれると母から連絡があったからだ。父がそう言うのは珍しいことだと思った。しかし、余計な思考は寿司を食べたいという食欲によってすべて排水口から流れていった。家電量販店を出て空を見る。日が落ちるのが早くなったとはいえ、まだ天球の上のほうに太陽は存在している。朝の完璧な晴天と比較すれば、雲が多少出てきていた。まだ、時間はある。だからこそ、『時間を無駄にするわけにはいかない』と母が言っていたことを思い出した。それもそうか、と納得して駅の改札を通り抜けた。
 電車を待つホームに立っている。多くの人の背中を見ながら、誰も人がいない乗車口のマークを探す。途中、グリーン車の乗車口があるせいか人がいない場所を見つける。次の列車は何両編成なのだろう、そう考えて僕は振り返って電光掲示板の表示を見上げるようにして見る。次にやってくる列車は十両編成で、通常車の乗車口がやってくるはずだ。普段、十五両編成の列車がやってくるということもあるのだろうが、案内放送に耳を傾けて自分が立っているところが違うとこちらに歩いてくる人はあまりいない。電車がやってくる。遠くの先頭車両のほうに立っていた人たちが慌ててこちらに歩いてくるのが見えた。こうして考えれば、皆うつむいているように見える。おそらく、僕もうつむいているのだろう。先ほどのカップルが心から羨ましい。彼らはどこに行ったのだろう。僕はもう一度宙づり広告の文字を見る。そうして、僕は上を向こうとする。
 電車を降り、図書館の横を通り抜け、多少広い道路の路側帯を歩いていく。ふと、右を見ると、朝、老人たちがゲートボールを楽しんでいた老人たちの姿はなかった。今度は子供たちが多く集まってサッカーをしている。そして、その公園の前を通り抜けようとしたときに、一人の少年が声を大にして、仲間に宣言した。
「俺、中村俊輔みたいになりたいんだ」
 僕も知っている、ヒーローの話をしたとき、その少年の周りの仲間たちは、「じゃあ、俺は本田圭佑!」「俺はクリロナになりたいな」と次々に憧れの選手の名前を言っていた。そして、その宣言を聞きながら、また家のほうに歩いていった。

 家に着くと、母はなにやら調べ物をしていて、祖父は炬燵で暖まりながらみかんを食べていた。洗面所で手を洗ってから居間に戻り「ゲートボール、勝ったの?」と僕が訊く。
「勝ったんだよ。今日は俺が活躍したんだ」
 祖父がそう自慢げに言うので「良かった良かった」とそれに返事をした。「ゲートボールって楽しいの?」
「楽しいぞ。今度やってみるか? 前は鈴木さんの息子も来て盛り上がったんだよ」
 へぇー、と相槌を打つと、すかさず母が「行ってきなさいよ」と言った。「また今度ね」
 と言った。調べ物が終わったようで、こちらを向いて、少しうれしそうに口角を上げた。僕も炬燵に入ってみかんを剝いた。
「そういえばお父さん、今日は早く帰ってきたね」
「今日は一郎が奥さんの見舞いと、自分の健診があるっていうから早めに終わったんだ」
 ふーん、と母が言って、祖父がみかんの山からもう一つ、みかんを拾ってその皮を丁寧に剥き始めた。花のようにみかんの皮をむき終わったところで、祖父はみかんを食べずに、ただどこか遠くを見ていたような気がした。それから、居間の片隅にある仏壇に少しの間目を向けて、それから、
「横山さん、亡くなったって」
 と言った。横山さんはゲートボール仲間の一人だと聞いていた。祖父がそのような話をしたのは、祖母が亡くなってゲートボールに行くようになってから初めてのことだった。それは、祖父なりに前を向くための手段だったように僕には見えた。しかし、また自分より先に、心の拠り所にしている仲間が逝ってしまった。その衝撃は容易には想像できなかった。僕は逃げるように居間を出て自分の部屋に戻った。
 椅子に座ってため息を一つつく。祖母に、彼にとっては他に代わりのない妻に先立たれるのはどのような気持ちになるものだろう。釘打ちの前に手を握った時、祖母の手の冷たさと同時に祖父の気持ちが伝わったような気持ちになったことを今思いだした。それは電流が流れて感電するかのように感じられた。釘打ちの金槌の反作用が、とても痛かった。『穏やかな、旅立ちになりました』。
 一つのゲートを通り抜けて向こう側に行ってしまった祖母の姿は見えない。最期というゲートの向こう側に続いている景色は、果たして誰しもが平等に享受できる幸せに満ちているのだろうか。そして、そのゴールに向かおうとする心と、仲間に止めてほしい心が争いを始める。僕は祖父がそんなことを考えているのではないか、と不安になった。
 祖父が、仲間とともにゲートボールをする姿を思い出す。道路に面した少し広い公園で、ボールを打てば仲間がそのあとどう打とうか悩む。狙い通りのショットをして、喜んだり、悔しがったりする。残された時間を必死に生きようとするのではなく、ただ、残された時間を受け入れ、無為に消えていく時間を見送っていく。本当にそれでいいのだろうか? 僕は祖父がそうしようとしていることがなによりも辛いと感じた。
「そろそろ行くわよ」
 と階下から僕と父を呼ぶ声が聞こえる。父の思い出の曲は急停止して、僕と父はそれに返事をした。

 家族全員が乗る用に買ったミニバンの最後部席は畳まれたままで、僕は助手席に乗り込んだ。先に乗った父がスマートフォンを操作していつも流すアーティストの曲を再生した。祖父が後部座席の取っ手を掴んで乗り込んだ後に母が車に乗り込んだ。狭い路地の狭い土地から車を出すのは難しく、父も集中していたが慣れているおかげですぐに抜け出すことができた。
 幹線道路の信号が青になるのを待っている間、僕は父に向かってこう質問した。
「この曲っていつから聴いてるの?」
「俺が学生の、お前の歳ぐらいに流行ってたから何年前だろうな。みんなで聴いたのが懐かしいよ」
 後ろから母が「結婚する前から車で流してたよね」と付け足す。信号が青になって、普段より少し急いで加速したような気がした。小さいころから聴いていた曲は多分ずっと好きでいられるのだろうと思う。生まれた最初から知っていたかのようにも思える曲。サビになって僕は軽く鼻歌を歌う。父にとって、この曲はどれほど重要なものなのだろうか。
「父さんは、何になりたいって思ってた?」
 父は少し黙ってから「野球選手かな」と答えた。
「そのために頑張ってたけど、やっぱり難しいね。夏の大会も、惜しかった」
 父はそう言ったが、僕は何も言わなかった。エンジンの音とロードノイズだけがしばらく聞こえた。少し気まずくなって、なんとか並べた言葉を口に出す。
「なんか、この曲を聴いてると夏に戻ったような気分になるね」
 そう言うと、父が「夏はまたやってくるよ」と言った。

 寿司屋から帰ってくると僕はすぐさま風呂に入った。身体を洗ってから湯船に浸かる。ふと、公園にいた子供たちが憧れを言う様子が再生された。僕は何になりたかったのだろう。そして、何になりたくて今を生きているのだろう、そう考えた。僕は子供に戻りたいのだろうか、穏やかに死んでいけるのだろうか、死んだら幸せが待っているのだろうか。左手が寂しくて、凍えそうになっているのが苦しいと思うのはなぜなのだろうか。一つ一つの思考が髪の毛を伝って水面に落ちては反響する。それを見て、僕は長くなった前髪を触る。そして、また「伸びてきたなぁ。切らないと」と言って毎日を過ごしている。
 風呂から上がって、髪を乾かしてから自分の部屋にまた戻った。そして、自分のスマートフォンから僕が好きな曲を再生した。流れ始めたロックナンバーは僕が十代後半であることを賛美してくれているような気がした。その様子がかっこいいと思ったし、いい曲だと思った。ただ、逃げるようにして聞くのは、自分が情けないもののように感じた。好きなアルバムを一巡して、音楽は止まった。しかし、今度は音楽を再生していないスマートフォンの代わりに、頭の中で父が好きな音楽が流れ始めた。僕はそれに合わせて鼻歌をまた歌った、夏のナンバー。歌詞には表れない、あの夏のイメージが流れ込んでくる。
「夏はまたやってくるよ」
 そう言った父の運転する姿が思い出された。僕も、またなにかになろうとすることができるのだろうか。夏の強い日差しの下に、強く自分のなりたいものになろうと願えるのだろうか。父は野球選手にはなれなかった。けれども、今も生きようと生活している。生活するために生きるという選択をしている。その選んだ道は間違っていないように思えた。

 トイレに行き、歯を磨くために一階に降りた。祖父は寝たようだったが、父と母はテレビを見ていた。洗面所に行き歯磨きを終わらせて、居間にいる父と母に「おやすみ」と言うと、二人からも同じように「おやすみ」と言われた。廊下は寝ている祖父の気配を感じさせないほど静かだった。僕も可能な限り静かに階段を上る。
 部屋に入って分厚い布団に入る。すぐに寝付けないでしばらく天井を見ていると小窓から月の光が漏れて室内に入り込んできているのがわかった。きっと、日が登ってくればまた、明日という日がやってくるだろう。
 また、夏はやってくる。この冬が終われば、春がきて、それから長い夏がやってきて、すぐに過ぎてしまうような秋がやってきて、また冬になって一年が経つ。その間に好きな音楽を聞いて季節の流れを感じる。そしてその間に起こることの中で、僕は必死になにかを考えなにかをして、その過程でなにかを得て、またその一方でなにかを失って、日の光の中でそれがうれしくなって笑っているのだ。

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