おじいちゃん
19歳の夏、最も記憶に残った出来事がある。
祖父の死である。
高校時代、家にも学校にも居場所がなかった時期に唯一の受け皿だった祖父が大好きで大好きで、大好きで、親友かつ尊敬の対象であった。
祖父が死ぬ前と死んだ後では自分の中で世界が変わった。
祖父は、私が上京してから1ヶ月後、突然急激に痩せ始め、病気が発覚し、2ヶ月入院した後、私の20歳の誕生日の6日前にあたる7月3日に旅立った。
そのため、6月と7月は合わせて4回帰省した。
この時、東京にいる不甲斐なさをひしひしと痛いほど感じていた。
大学なんかより祖父とずっといる方が絶対に幸せだと思った。
けれど、祖父は毎回すぐ「帰れ。」と言ってきた。
これが最後かと思って会った時は、病室で会話をした。
これが最後かと思って話した。
薬の影響で話の途中に祖父は、「〇〇、もう帰れ。」と言い、うとうとし始めた。
私は未練しかなかった。
病室の窓から外を眺めてつっ立っていた。
感謝をもっと伝えたかった。
一浪した末、なんとか大学が決まった時に、はしゃいで会う人会う人に孫が大学に受かったと一番嬉しそうに言いふらしていた事を思い出した。
当の本人より喜んでいた。
あらゆる記憶が蘇って来た。
5分ほど窓を眺めていると、「〇〇、まだいたんか。」と話しかけて来た。
しかし、涙で濡れた顔を見せる訳にはいかないとグッと堪えて、また隣に座って会話をした。
そして、再び「〇〇、もうおじいちゃんは眠いから、帰れ。」と言った。
そして、さっきよりも深い眠りについた。
ずっとそこに居たかったが、帰るしかなかった。
しばらく顔を眺めてから、病室を出た。
そして、病院を出て、歩き出した。
「今病室に戻ればまたおじいちゃんと話せる。」すぐそこに戻ればまた話せるのだと分かっていても、戻らなかった。
すぐそこに生きている祖父がいる。
もう二度と話す事が出来ないのかと、一人で泣きながら駅まで歩いた。
そして、本当にそれが最後となった。
7月4日、お葬式のために新幹線で帰った。
新大阪で降りて、祖父とよく行ったくら寿司に一人で行った。
祖父とよく歩いた道だから、どこかの交差点からひょこっと出て来そうだと思った。
次の日、お通夜とお葬式が行われるお寺に到着した。
着くや否や、棺の中にいる祖父と対面した。
「おじいちゃん、ここにいたのか。」と思った。
最後に会った時より痩せていた。
亡くなったのだと初めて認識した。
しかし、未だ飲み込めなかった。
祖父のいない世界が変わらず存在し続けて良いのかと、本気で思った。
結果的にお通夜とお葬式では泣かなかった。
というより、涙を目の中だけで必死に堪えた。
太ももをちぎるくらい何度となくつねった。
出棺の時、父が「おじいちゃんは〇〇のことが大好きやったもんなあ」と泣きながら言ってきた。
涙腺のダムが決壊しそうだった。
拳を握りしめ、上を向き、拳を太ももに擦り付けた。
一人で泣きたかった。
だから、皆の前では必死で堪えた。
あんな偉大な人はいなかった、と思う。
また、そんな祖父と密に時間を共に出来て幸せだった。
悔いは勿論ある。
一番は、20歳になってから一緒に好きなだけ酒を飲みたかった。
もう一つは、彼女もしくは未来の奥さんを祖父に会わせたかった。
その二つだけは、もし叶えられればどれだけ幸せだったろうと思う。
未だ思い出すが、自分はまだまだ祖父に程遠いなと痛感する。
また会いたい。
夢に出てこないかなと思う日々だ。
(2018年5月18日に書いたものです)
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