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愛想が、良すぎる。

愛想の良い人は好きだが、愛想が良すぎる人は心配の方が勝る。

綿棒と漂白剤、あとは、一日頑張った自分へのご褒美に柚子の香りがするホットアイマスクの入った買い物カゴを引っ提げ、レジの順番待ちをしていた。

時計は、深夜0時を指していた。

僕が並んですぐに、前の女性がレジに通された。

レジ待ちほど退屈な時間はないため、ついつい女性の買い物かごの中身に目がいった。

ただ、目が悪い僕は、カメラのピントを合わせるように視点をその一点に集中させていると、彼女が慌てるように財布をごそごそと探って、カードを店員に差し出した。

ああ、年齢確認されたんだな、とわかった瞬間に、カゴの中にたった一つぽつりと入った缶チューハイをはっきりと捉えた。

「レジ袋はいりますか?」

「はい!ちゅうくらいのくださあい!」

かなり大きな声で、しかし、声色は明るく、棘がない。

愛想の良い方だな、と思い、こんな深夜にどうして缶チューハイを飲みたくなったんだろう、とあれこれ考え巡らせていると、

「あ!やっぱり、袋持ってきてたの忘れてました!袋なしにしてもらってもいいですか!」

たしかに、よく見ると彼女の腕には大きめの袋がぶら下がっている。

さっきよりも大きめの声で、少し恥ずかしげに笑いながらそう言った。

「…わかりました。」

痩せた中年の男性店員は、表情ひとつ動かさず、聞こえるか聞こえないかくらいの声でボソッと返事した。

肩より少し下まで伸びた茶褐色の髪に、ベージュのセーター、細めのパンツ、背丈は150後半くらいだろうか、そんな彼女は、支払いを終えると、

「ありがとうございました!」

と明るい声でお礼を言い、ポツリと缶チューハイ一本だけ入ったカゴを持って、荷物を詰めるサッカー台に移動した。

愛想が、良すぎる。

ただ単に育ちが良いというより、なにか大きな悲しみを抱えているような、そんな気がした。

誰にでもよく笑う人は、僕には淋しげに映る。

だって、僕にも同じような節があるから。

落ち込んで、ヤケになったとき、もう誰にあげる心も無いのに、そういう時に限ってコンビニの店員にやけに愛想よく話しかけたりする。

なんでああいうときに限って、ほとんど残っていない歯磨き粉を最後の最後まで搾り取るように、愛を他人に全て与えようとするのだろう。

「…りがとうございましたー…。次の方。」

あれこれと考え巡らせている頭の中を知る由もなく、無愛想な店員は流れ作業のように、僕に声をかけた。

「お願いします!」

あれ、僕も彼女となんら変わらないじゃないか。

きっとこんなに愛想良くしなくても、生きる分になんら困らないのに、どうして彼女や僕は、こうして絶対に見返りのない無愛想な店員にまで愛を分け与えるのだろう。

支払いを済ませ、人生で初めて買った漂白剤、綿棒などを鞄の中に雑に入れ込み、店を出た。

すると、少し前に千鳥足でお酒を飲みながらゆっくりと歩くさっきの女性がいた。

やけに哀愁が漂うその後ろ姿に、僕はどういうわけか深く考え込んでしまい、こうして文章を書いている。

深夜0時にお酒を買い、あれだけ明るく愛想の良かった彼女が、夜道を一人、通り過ぎる人に目もくれず、夜空を見上げながら、お酒を片手にふらふらと歩いている。

無愛想な店員に、あれだけ愛想良く振る舞うのだから、きっと普段友達や同僚の前でもよく笑う人なんだろうな、と勝手に思う。

普段仲良くしてる友達は、一人夜に浸って街を彷徨う彼女の後ろ姿を見た事があるのだろうか。

人には、どれだけ心を許した相手にも見せない顔がある。

僕の大好きな映画「Fifty Shades of Grey」では、日本語で直訳すると「50通りに歪んだGrey」(Greyは主人公の名前)となるように、若き大企業CEOであるGreyの隠れた人格や性癖が描かれている。

僕にも死ぬまで誰にも見せない顔があるし、それは誰しも同じだと思う。

だからこそ、僕は目の前の一面がその人の全てだと思っていない。

どんなに愛想が良い人も、その人が無垢で明るい人だとは思わないし、冷たく無愛想な人が恋人の前では赤ん坊言葉を使う人かもしれない。

自分以外の誰かの全てを知ることは、家族ですら叶わないのだ。


後ろ髪が夜風に揺れ、月明かりに導かれるようにどこかへ彷徨い歩く彼女の姿を遠目に、僕は角を曲がって帰路へとついた。



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