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戯言

幸せは、人の不幸を目にした時に浮かび上がる。

不幸な目に遭っている人を前にした時に、こちら側がその人より優れていて、恵まれた場所にいることを再認識できた時、初めて自分は幸せなんだと感じることができる。

ある意味では、人の不幸と比べてしか幸せを感じられない自分のような人間が、最も不幸でバチ当たりな人間なのではないか、と思った。

だが、普段と何も変わらない日常を送っていて、突然(自分は幸せ者だ。)なんて幸せを噛み締められる人の方が稀なのではないか。

例えば、寒い冬の外で、薄いダンボールの上で小さく縮こまっているホームレスの人を見ると、(ああ、自分はこれから帰る家があって、暖かい部屋でふかふかの布団にくるまって寝ることができる。なんて幸せ者なんだろう。)と、誰もが一度は密かに幸せを噛み締めたことがあるのではないだろうか。

他にも、有名人が不祥事を起こして謝罪会見で憔悴している姿をスマホでぼーっと眺めながら、何気ない普通の1日がとても尊いものに思えてきて、少しばかり優越感を感じたりすることもある。

しかし、他人と比べて得られた幸せは、本当の幸せと言えるのだろうか。


結局、隣の芝生はいつまでも青いままなのだ。

どれだけ人から羨ましがられる成功を手にしていようが、手にした瞬間輝きは失われていく。

全てを手に入れているように見えている人も、何もまだ手にしていない人も、皆何も持っていないのだ。

むしろ、何も手にしていない人の方が、夢という形ない光を目指して生きている点において、すでに何かを手にしているような気がしてくる。

夢を叶え、理想の自分になったときに目の前に広がっているのは、誰一人周りにいない真っ暗な荒野とまだこれからも人生が続いていくという果てしなく長く暗いトンネルである。

夢を失った先の人生が、これほどまでに苦難に満ちているとは誰も教えてはくれなかった。

なぜなら、この世界に夢を叶えた人間は、ごくわずかしかいないからだ。

いつの間にか夢を諦めて、そんな自分を正当化して生きる大人たちに囲まれて僕たちは育っていく。

現実を見ることの大切さ、年上の言うことをちゃんと聞くこと、安定した職業の素晴らしさ、そんなことを教わるうちに、いつしか社会に従順な犬として飼われていく。

夢も、意思も、言葉も持たず、月に30万円のエサを与えられるために心を殺して、尻尾を振って生きていくのだ。

大人になるにつれて孤独の色はどんどん深くなっていく。


生きる寂しさに疲れた人々は、愛に生きる意味を見出し、結ばれる。

ただし、愛にゴールはない。

もし結婚がゴールだと信じて駆け上がったカップルは、その先に長く続く年月を目の当たりにして怖気付く。

多くの人間は、一人の人間だけを愛せるようには出来ていないようだ。

なぜなら、人間はこの世界で最も欲深い生き物だからだ。

あれもこれも欲しいと願う生き物だ。

男は、多くの種を残す本能があるし、女は優秀な遺伝子を残す本能がある。


人の欲望は、果てしなく深い。

その代わりに理性という抑制装置を持っている。

しかし、理性が一体何の役にたつというのだろう。

抑え続けられた欲望は、早かれ遅かれ火山の噴火のように一気に溢れ出る。

爆発しない人でも、歪みとなってどこかに現れてくる。

その歪みこそが個性であり、魅力なのだ。

我慢に次ぐ我慢を重ね、苦しみ抜いた先に死を見た者だけが醸し出すことができる色気を手にするのだ。


大人たちは我が物顔で、まるで明日を知っているかのような表情、物言いをするけれど、彼らは何一つ分かってはいない。

人生を語り、愛を語り、人の生き方にアドバイスをするが、どれも戯言に過ぎない。

僕たちは、誰も明日を知ることはできないからこそ、不安から逃れるために、最もらしいことを言う人間にすがりつく。

その人間の言うことを一言一句信用して、神様のように崇拝する。

だが、誰も明日の答えを知らないし、他人の人生になど興味がない。

だから、僕たちは大人を信用してはいけない。

それがたとえ大切な家族であろうが、友達だろうが、尊敬する人だろうが関係ない。


皆、生まれた時からこの世界で無数の選択肢の中から自分だけの人生を生きていくためのコンパスを持っている。

それは、紛れもない自分の心だ。

直感と違和感。

そして、自分の果てしない可能性。

これらは、僕たちがいつも迷っている時に、絶えず語りかけて、正しい方向へと導いてくれている。

心の声を決してあなどってはいけない。

他人の発する雑音を全て断ち切り、自らの心の指し示す方へと進んだ者だけが、真の成功を手にするのだ。


いつ、何時からでも僕たちは変われる。

そして、今この瞬間から新しい夢へと駒を進めることができる。

過去に手にしたと思っているものは、全て虚構である。

僕たちは、今何も持っていない。

今持っていると思っているものは、過去に手にしたものでしかない。

時間は、一本の線のように流れているようで、実際は無数の点の連続でしかない。

今愛している人がいても、5秒後にその愛が朽ちて枯れてしまうことだってあり得る。

日々生まれ変わることを自分に許可してあげれば、心は喜んで僕たちを生きやすい方へ、豊かな幸福へ、真実の愛へ導いてくれるはずだ。


このように愛だ、人生だ、と戯言を語る人間に騙されず、スマホの電源を切って、外に出て空を眺めながら自分の心の声と会話をしてあげてほしい。

なぜなら、答えはいつも自分の中にあるのだから。



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