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工事現場の兄ちゃんたち

早朝、深夜、街の至る所で土方が働いている。着慣れた泥まみれの作業服に、こんがりと焼けた肌、緩く装着したヘルメット。

鋭い目つきの人から、どうしようもなく太った人、くすんだ茶色の髪の襟足を肩まで伸ばした人、どの人も男ではなく、漢、熱血漢といった感じで、喧嘩っ早そうな雰囲気を醸し出している。

仕事前に円になって、現場監督の話を聞いている時も、気怠そうに立っていたり、下を向いていたり、片方の足に重心をかけて身体が斜めに傾いていたり、様々な人がいる。

面倒臭そうにラジオ体操の音楽に合わせて、腕を曲げたり、屈伸している人もいる。

高校生かと思うくらい若い人もいる。

夏は作業服の袖をまくって、大量の汗を垂らし、それを拭いながら作業に集中している。
冬は、凍えた身体を暖めるために、休憩中は自動販売機で熱い缶コーヒーを注ぎ込む。

深夜帯、遊び疲れて帰っている道中、逞しい兄ちゃんたちが、これから明け方まで作業に取り掛かる準備をしている。

土木作業員の方は、どの時間帯にも街の至る所で作業に励む。
彼らの姿を見る度、自分が恥ずかしくなる
彼らから人間としての逞しさ、男らしさを感じて止まない。

別に、土木作業員だけではない。トラック運転手にも同じような感じを抱く。
尊敬、むしろ憧れだろうか。
彼らは、学校では不良と呼ばれていたのかもしれない。
偏見だろうか。

でも、その働きっぷりといえば不良と呼んでいる教師、生徒よりも遥かに立派なものである。
肉体労働、夜勤労働の辛さは、味わったものにしか分からない。
大学に入ってから何度も経験したから、ほんの少しは分かったつもりでいるが、実際は知らない。

自分が、ちっぽけなことに頭悩ませて、世界で一番苦しんでいるような誇大妄想を膨らませている間に、彼らは黙って肉体を酷使して働いている。誰かの役に立って、お金を稼いでいる。
自分は、いくら立派なことを考えていても、誰にも何の役にも立っていない。お金も入ってこない。当たり前だ。

「肉体労働、嫌だな。夜勤、嫌だな、しんどそう。」なんて甘ったれた事言わず、息をするように当然のごとく身体を使って対価に銭を受け取り、生活の肥やしにしている。

自分がうじうじ悩んでいる間、彼らは行動をもって人生を証明している
僕は過度に自分を卑下していないが、
彼らへの尊敬の念はどうしても抱く。


僕が高校で不登校になった時、両親は学校に行かない選択肢を認めてはくれなかったが、それは心配からくるものだとわかっているので、今更何も言わない。
認めないと言っても、家から勘当されたわけではなく、食事と部屋は与えられてはいた。
僕は、学校に行くこと以外の選択肢を知らなかったし、学校に行けという家族・親戚・教師の圧に押されて、学校に行くこと以外の選択肢は逃げだと信じ込んでいた。
他の選択肢があっていいんだと、あなたは生きているだけで素晴らしいんだと、強く言って欲しかったと思わなくもないが、あとの祭りである。
両親も僕をより良くしたい正義感と愛情からそうしていたのは分かる。


不登校になったとき、ちょうど実家の前の家で改築工事が行われていて、土方の人が毎日汗水垂らして働いていた。
母は、その土方に相談したそうだ。息子が学校に行かないから、ここで働かせてもらうことは可能かと。
快い返事を頂いたそうだが、僕は当時、高校を辞めて土方をするなんて逃げだと思ったし、なにより肉体労働なんて耐えられる自信がなかった。
日本でも屈指の超進学校に通っていても、人間力なんてこんな弱いものである。
肉体労働をできなかった当時の自分は、たしかに未熟だった。


今になっても土方はやはり、大変そうだからやりたくないと思ってしまう。
だからこそ、彼らを尊敬している。感謝している。カッコいいと思っている。
道路を綺麗にしたり、家を建てたり、男としてカッコいい。逞しい。
彼らを見るたび自分を恥じる


今朝、道端に落ちているゴミを拾って歩いた。
未だちっぽけな自分だが、少しは役に立てたろうか。  

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