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咲いたら1週間で散る桜。

桜を眺める人々は、まるで今をときめくスターを見るような好奇な目をしている。

満開の桜の木の下で、花見という名目でブルーシートを広げて酒を飲み交わす人々。

春の訪れを知らせる桜の花をこぞってカメラに撮る人々。

それから1週間経った頃、人々は散った桜を迷いなく踏みつけ、そして、前までの盛り上がりが嘘みたく桜に無関心になる。

人間の興味は、簡単に、一瞬で移ろいゆくものなのだ。

時の流れは、街の景色も、人の心も変えていく。


散った桜は、儚く美しい。

咲いている桜よりも遥かに慎ましく存在している。

今年の桜を眺めて、僕は全て下に向かって咲いている様子に、媚びを感じて辟易とした。

美の押し出しは、美しくない。

美しさは、そっと誰かに見出されるものなのだ。

地面を埋め尽くす散った桜の花びらは、雨に濡れて、萎びている。

誰にも見向きもされず、踏みつけられ、それでもなす術なく地面で動けずにいる桜の花びらに、僕は恍惚とした美しさを感じた。

頭の上で満開に咲き誇る桜の花びらよりも、ずっと綺麗だった。

ただの街路樹になった桜も、紅葉の桜も、枯れて裸になった桜も、きっと誰にも見向きもされないだろうけれど、桜が無様にみすぼらしく変わりゆく様を僕は静かに見つめ続けたい。

そして、桜が咲いた頃、桜の木に群がる人々から離れ、遠くで散りゆく様を見守っていたい。

美しさとは、誇示して強引に納得させるものではない。

美しいかどうかは、僕が決めるのだ。

いつか誰かが美しさを見出してくれる日まで、僕も美しさを秘め続け、誰もいない日陰で静かに自らを磨いていく。

春が来た。





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