踊る阿保に見る阿保♪の心理から見えたこと。
たまたま観ていたTV番組での一連の会話がとても印象深かったのでここに文字起こししておこう。
ポップスロックバンド、マカロニえんぴつのボーカル、はっとりさんとマツコデラックスの会話↓
はっとり: 以前、マツコさんがテレビで話されてた事で
僕も共感出来る話があって。
「私は長い間生きている中で本当に幸せを感じた瞬間が一回もない」
って言ってたんですよ。
あれちょっとわかる気がするんですよ。
俯瞰で自分を見てしまうので。
マツコ: あぁ言ってたかも。じゃあ、はっとりに聞くわ?何で幸せになれないんだと思う?
はっとり: 自分をだませないんじゃないですかね?
楽しい人ってすぐ割り切れるんだと思います。
今は楽しい時間とか言って
幸せって事にしておこうって。
マツコ: わかる!例えば海辺で半裸ではしゃいでる
連中っているじゃない?
もうその瞬間にスイッチを入れて無邪気に
はしゃげる人達。
あの人達を見て恥ずかしい、はしたない、
そういう風にみられたくないという
変な作用が働いてそこの輪の中に行けないのよ。
それを見てあーなったらおしまいよね。
と言う事でどうにか自分を律しているっていう。
本当はそうやってあっちに行った人が勝ちなのに。
でも皆んなが皆んなそれを出来る
と思ったら大間違いなのよね。
だからそれを(半裸ではしゃぐ)出来る人は
一個才能なんです。あれは。
私みたいなこじらせている偏屈な人間ってなんかさ、
人と違うことやっているのが好きなのよ。
だから私もよくわかる。
そのはっとりの偏屈な所。大好き。
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この番組で2人のやりとりを聞くことができたので、
楽しいパリピの人達を斜めから見ていたけど、
こういう解釈をすれば偏見が薄れてくるし、
自分を省みる事が出来た時間となりました。
私は一瞬の幸せを割と感じられているけれど、
若干、偏屈なこじらせ女だ。
でもこれも悪くはないと思っている。
切り替えスイッチがサッと出来れば
そりゃ良いに越したことはないのよ。
そしてパリピの人たちが羨ましい部分だって正直ある。
自分に正直だから、なかなか自分をだませない…
そんなウジウジしてる自分に酔いしれているのも
それはそれで良いと思う。
このやり取り、絶妙に私に響いたので
知人にシェアしたら
“阿波踊り”の歌詞を思い出してくれました⭐︎
🎶踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損損🎶
私はそこから阿波踊りを“見ている”という
立場の目線に焦点を当ててみた。
興味がなければそんな人達を見たり
気にしたりすることはないんだよね。
踊らない理由を正当化して
「踊ってるやつは阿保」とか言っちゃう。
もしくはそんなにこじらせず、
単純に踊りたいけど恥ずかしいから
見て楽しんでるって人もいるかもね。
〇〇になれないって思うってことは
「〇〇になりたい」の裏返しなのにね。
ちょっとだけ旅先の冒険の気持ちで
阿波踊りの人たちと混ざってみたい!
と思えたのならそれを自分に許可をしてみる。
踊り方わからなくてぎこちなくなる自分を
一目にさらすのが恥ずかしい…と踊りたい気持ち♡
どちらも自分で見極める。
踊ってみて合わなければ抜ければ良いだけのこと。
なんだけど、
なかなか判断が面倒になって諦めたり、
シャキシャキ切り替えて行動するっていうのが難しい。
難しく考えずに踊っちゃえ!なのか?
皆んなと同じ事をしてはしゃぐのが苦手だから
それなら1人で自分の好きな道を突き進むを選ぶのか?
どちらを選んでも正反対の人が羨ましいと
思ってしまうこともある。
いずれにせよ捉え方は自分にしか選べない。
“幸せ”なんて定義を難しく考えず
これを書きながら
一瞬でも楽しいと思えたならそれで充分じゃないか。
と思えてきた。
人に迷惑かけたり悪ふざけしている人達は別として、
こうやってどちらの立場も分かり合える
そんな世界が広がっていくと良いんだよな♡
大げさか(笑)