ある日ある時ある場所で。。

私のこころの旅は、記憶の中のビジョンから始まった。
この旅をする上で、私は棚卸を早く進めなければと思った。それは、記憶が不確かにならないうちに過去の記憶をダウンロードしていかないとといいう焦りからです。
私は小さい時から日記を書くことを、いや、物を書くことをあまりしなかったので、記憶に頼って過去の出来事を掘り起こす作業が必要だったのです。

日記をつけていた方は、過去の日記の棚卸をするといいでしょう。
昔、まだ若き頃は、私はこの作業をあまり好まなかった。なぜなら、ネガティブな記憶を想い出すことで、自分がまたあの嫌な気持ちに包まれるのではないかと思ったからです。
 さて、先の初めての記憶の次に現れてくるファイルを開けてみると、それは実家の家の中ではなくて、外の風景が現れてきます。
時期は。。。。。冬です。なぜか分からないのですが、小さい時の私の記憶の中の季節は冬が多いのです。なにしろ私の気質の初年期は、老成らしいのです。
この話は後日にゆずるとして、今回のビジョンは隣の家住人とのシーンです。

 当時都内にはまだ進駐軍の軍関係者がたくさん住んでいました。
うちの裏手にも軍関係の人の家族が住んでいました。記憶が前後するのですが、二家族が入れ替わったように覚えています。
その内の一人に北ダコタから来ていたバブさんという白人がいました。
ある日、彼は外で遊んでいた私を凧上げに誘いました。
当時隣人の家は土手の下にあり、その土手を上がると、お寺の境内までの広い広場がありました。目立つといえば、大きな杉の木が一本生えているくらいでしょうか。。
そこで彼は凧あげを始めました。その凧は日本のヤッコ凧やきれいに絵の描かれた四角い凧とは違い、白い無地の西洋のお棺のような形をしてものでした。たぶん手作りだったのではないかと思いますが、尻尾?をつけ北風に吹かれながらよく上がっていました。
突然、彼は私に凧の糸を持たせました。
しばらく私に手を添えて糸の引き方を教えていたのですが、その内に、私の手から自分の手を離し、私一人にその糸をまかせたのです。
その時の感覚はよく覚えています。
急に風を抱いた凧の力強さが私を引っ張り、まだ小さかった私がその力に一人で立ち向かわなくてはならなかった恐怖に、何か急に不安になりました。そして、私は糸から手を放してしまったのです。
凧は風に吹かれて飛んでいきました。
凧糸を手元で巻いていた物も土の地面をころがって行きました。
彼は慌てて、凧糸の束ねていた物を追いかけました。
そして、それは、大きな杉の木にひっかかり止まり、やがて凧は弧を描いて地面に落ちました。

ここでビジョンは消えています。
その時のバツの悪さや、どうしたらいいのかという混乱や、なんにも言えなかった焦燥感のようなものは昨日のことのように残っています。

みなさんにとっては、小さい時に感じた印象に残る感情ってどんなものだったのでしょう。。。

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