血筋はどうしても争えない

私、複合型PTSD、境界性人格障害躁鬱併発。

実は、私の身内に鬱病からの自殺で亡くなってる方が居るんですよ。父方の祖父なんですけれど。
昔から何度も自殺未遂を繰り返したり、仕事しょっちゅうバックれたり、会う度に泥酔状態だったりしていたらしい。なんか私に似てるな。多分。
私が幼い頃に亡くなってしまったので、思い出という思い出は無い。
聞くところによると、自殺で、その日も隣に住んでいる娘夫婦や私の両親や祖母は自殺したーってなったけれど、何度も未遂で終わっていたので、またやってるよ位のノリで実家に行ったらしい。実際家に行ったら、本当に亡くなっていた。
私は幼くて、親達の配慮で病死したと言われたので、自殺で亡くなった事はここ最近知らされた。
多分、小学生になりたての子供には刺激が強過ぎるから、病死って言ったんだと思う。

私のこの人生で記憶にある、『人の死』に携わったのはこの時だけで、子供ながらに死ぬってこういう事なんだなって感じた。冷たい祖父の頬を摩って思い出なんて何もないのに、何故か涙が出た。そして、生きる事が、死ぬ事がとても怖くなった。

私の精神疾患は親からの虐待から来ているという話があったけれど、血筋なのだとしたら躁鬱は辻褄が合う。
私は両親には精神疾患の事をよく教えてなくて、多分言っても理解してもらえないって最初から諦めていて、そもそも最初に病院行きたいって学生時代に言った時も『そんな必要ない』って怒鳴られたし、社会人になって病院行ったら鬱って言われて、その事伝えたら嘘だ嘘だってなったから、PTSDとか人格障害とか言ってもわからないだろうし、自分達が原因とも思ってないだろうし。
お母はお父に鬱は伝えたらしいけれど、お父は祖母とか他の人には言ってないみたいで。多分後ろめたいのだと思う。自分の親が鬱で亡くなって、娘も鬱ってなったら。それはそう。

そういえば、家で自殺未遂した時もリスカした時もパニック起こした時も、心配よりは余計な事を〜の方が大きかった気もする。

精神疾患とかACとかなんて、同じ境遇の人としか到底分かり合えない。
茶の間にガヤガヤ言われても何も感じない。そうはいっても茶の間だし。
君達に私達の気持ちは分かり合えない。

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