「だれかが愛と呼んだだけ」

 心臓をグサグサと刺された気分だ。でも全く痛みは無い。優しい何かで刺されたから。59分の上映時間の終わり際に、じわじわと涙が溢れてきた。最後の最後まで、監督の愛と優しさが漏れ出てしまっている。隠し切れていない。かわいい。

 陽太という人物が、かなり魅力的だ。作中の人物は陽太に骨抜きといった様子で、彼らと全く関わりのない私でさえ「陽太お前、最高だな」と思ってしまうほど、まっすぐで優しくて、正直。きっとその優しさが引き金になったのかな。優しすぎるが故に…。陽太の部屋には本がぎっしり詰まった本棚があって、実際のところ彼が読破したものたちなのかはわからないけれど、陽太という人間になんとなく触れられる空間でもある。テーブルにはCDプレイヤーが置かれていて、このサブスク時代にCDを買って聴くタイプなのかと思ったが、後に使われていなかったことが判明した。ラジオとか聞いてるのかな。陽太が抱えているものすべては見えないが、自分と向き合って涙を流すのも彼の部屋だ。空に対する気持ちとか、湊に会えないもどかしさとか、たくさんあるピースがうまくはまらなくて、どうしよう、という状態。不安を抱えながら、でもそいつとは上手くやっているつもりだけど、時折顔を出されるので困る。そういう経験がある人たちに何かが届くような、そんな映画だ。

 大都会の喧騒から離れて、そのまちの人々にだけ流れる時間、特に陽太と蒼の間のそれだけは浮遊しているような感覚があった。きっと蒼が陽太意外の人間と会話するシーンがほとんど無いからだ。それでもどこかフワフワと掴みようのない時間から、一気に引き戻される瞬間がある。蒼を繋ぎ止めておけるのは湊だけなんだ、そう思わざるをえない。陽太と共に時間を過ごす空と咲良、その2人と蒼の間には陽太という人物がいて、直接交わることはないけれど陽太を通して何かが変わっていくように見えた。何回か出てきた“横断注意”が、空に寄り添っていた陽太が、蒼の心に踏み込もうとしていることに対する忠告のようにも感じられた。陽太の夢の中に現れる謎の人物の言葉、国語の教科書の詩と関連して、陽太と周りの人たちとの関係に変化が訪れることの示唆が含まれているのかなと思ったけれど、きっと前に進もうとする陽太に「道中気をつけてね」という意かも。結果として、陽太だけじゃなくて空や蒼や咲良も1歩ぐらいは前に進めたのかな。蒼の中で止まっていた時計の針が、ゆっくり動き始めたような、なんかそんな感じがした。

 夢の中の割れたCDがキラキラ光っていてとても不思議だった。CDとして生命を終えたものたちが、壊れてしまったものの破片が、まだ輝きを放っている様は何故か不思議だった。お空のキラキラお星様だっていつかは光を失ってしまう。でも蒼の言葉で腑に落ちた。街や人が星の輝きを奪っているだけだ。「星は何も奪ったりしやんのに。」CDだって別に割れたら終わりってわけじゃない、こうして映画の美術としての役目だったり、畑にカラス除けで吊るされたり、何か他の使い道なんて探せばいくらでもある。曲解な気がしてきた。輝きあるものからそれを無理やり奪ってはいけない。とにかく美術と照明、衣装が夢に現る謎人物の“何だこいつは”感と、日常には確かに無いはずの違和感をうまく表出しているように思った。特に陽太の部屋に現れた時は「ヤバイ!!!!!」と思った、照明がすごくて。

だれかが愛と呼んだだけ/友人へ
 題字も芸が細かくて、素敵。凄く心打たれたり、救われたりするような言い回しやシーンが本当に沢山出てくる。冒頭でグサグサ刺されたと言ったのは、きっと監督のワードセンスやあたたかさ、繊細さにやられたからだ。沢山努力して、いろんなことを経験して、それが監督の中にあったものと反応を起こしてすごく素敵な結晶になったんだなあ、と胸が熱くなりました。強くなろうとせずとも、自分の中に少しでもある強さを信じてあげよう、そう思える作品。お疲れさま。

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