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【Snip!2号 序文公開】

2015年12月、大晦日。私は台北からローカル列車に揺られ、磁器で有名な小さな老街を目的もなく歩き回っていた。とくに心が惹かれるものもなく、短時間で見終えてしまったのでこれからどうしようかな、と思いつつ歩いていたところ、通りからほんの少し外れた路地にある店を見つけた。外観からはそこが本当に「店」なのか、判断が付きにくかったのだけれども、扉の横に一枚の白い半紙が貼られていて、古い年代と茶葉の名称が5つほど書かれてあった。それで私はこの場所が年代物のお茶を扱う店だということを知る。重そうなドアからは中のようすは伺えない。けれども、外観から漂う凛とした佇まいと、いかにも高価そうなお茶を扱っていることに気圧され、どうも私には相応しくないように思えて、一度その場所から離れた。そしてまた磁器の街へ。

  でもやっぱりさっきの場所がどうしても気になる。ふたたびゆるい坂道を登り、店の前に立ち、じっと半紙に書かれた文字を眺めてみた。すると上半身に風を感じると同時に、扉が大きく開いた。突然扉が開いたことに驚きつつも、主人と思わしき男性に促されるままに中に入ると、モルタル建てのひんやりとした空間には重厚な古い家具や陶板が配されていて、しんと静まりかえっていた。店内にはとくにお茶が並んでいるわけでもなく、店の前に貼られていたのと同じ半紙が1枚貼られているのみ。主人は50代ぐらいの男性で、僧侶みたいな簡素な作務衣で短髪。お風呂上がりのようなさっぱりとした顔立ちをしていた。さらに店の中にはひとり先客がいて、40代半ばぐらいのすらりとした男性が椅子に腰掛けて静かにお茶を飲んでいた。私はもう一度半紙を睨み、勇気を出して英語で「テイスティングしてみたいんですけど…」と沈黙を破った。するとふたりとも驚いたようすで顔を見合わせ、先客の男性が私に「どこから来たのですか?」と英語で尋ねた。「日本です」というと、彼は淀みのない日本語で「鄭惠中先生の服を着ていたので、すっかり台湾の方かと思いました」と言った。私は彼の思いがけない日本語に驚いて「なぜ日本語が話せるのですか?」と尋ねた。彼はお茶の仕事をしているそうで、お茶の取引や日本の陶芸作家との親交が深いこともあり、日本語が話せるのです、と言った。主人は私に席をすすめてくれて、3人で静かにお茶を飲む会がはじまった。

主人が喉をおさえ、そのあとに胸をさするように下に流す仕草をする。そうして何かを説明しているので、気になって「ご主人は何とおっしゃっているのですか?」と先客の男性に尋ねてみた。そうすると彼は少し困った顔をして「少々複雑な話なのですが、お茶の気については理解していますか?」と言った。私はもちろん「わかりません」と答えた。男性はおそらく彼のなかの日本語を探しながら、少し上を見ながらこう言った。

「ここにあるお茶は、特別なお茶です。すべてが自然なお茶です。自然なお茶は喉をひらきます」。喉をひらく?私はまったくよくわからないままに、お茶をすすった。

「この先生ほど、お茶の気に関することに精通している人はいません。ここは台湾の中でも、すごく特別な場所です。これほど質のいい自然なお茶を扱っている場所は、そうそうにありません。長い年月、湿度が入らないように気を配り保管されたものだけがここに並びます」と。

男性は少し用事があるからといって、どこかへ行ってしまった。先生と私は言葉が通じないので、お互い向き合ってお茶を黙々と飲むのみ。先生は黙って静かにお茶を飲んでいる私を気遣ってかちらりと顔を見ただけで、とくに何も言わなかった。ただ一度だけ、淹れてもらったお茶がはっとするほど美味しくて、わたしは思わず日本語で「おいしい!」と呟いた。先生は嬉しそうにうなずいて柔らかく笑った。

男性が戻ってきて「何か質問はありますか?」と私に尋ねた。しばらく注意深く質問を考えた。大事なことを聞くときは、慎重になる。

「自然なお茶で喉を開くことが大切だということですか?」と私は聞いた。男性は「絶対に」といい、こう続けた。「喉が開くと胃が開く。毒素の出口は両手、両足、頭、この5か所です。自然なお茶を飲むと、排毒効果で手足が熱くなります。世の中に出回っているお茶は、不自然なお茶が多く、喉が閉まります。なぜなら、ほとんどのお茶には農薬が使われているからです。無農薬で作ったお茶は採れる量が少なく、作り手は儲かりません。でも、自然なお茶は毒を流し、さらに気を巡らせます」と。また「お茶を舌で味わうのではなく、喉が開く感覚を見つける練習をしてみてください。なかなかできるようにはなりません。でも、練習すれば必ずできるようになります」とも。こんなにたくさんの種類の老茶を一度に飲める機会はない、と思って味ばかりに集中していた私は言葉を失った。男性は「この店の中のいちばん安いもので十分です。日本に帰って流通しているお茶と飲み比べてみれば、必ず違いがわかると思います」と言った。

そこで私は遥か80年前のお茶を飲んでいた。中国・武夷山の烏龍茶。武夷山は中国福建省にある険しい山だ。熟練した人でないと山に登るのが難しいため、収穫量がきわめて少ない貴重なお茶だそう。厳しい自然の中で岩にへばりつくようにして育ったお茶。私は飲みながら、日本で山に登ったときのことを思い出す。生命力が体の中からこんこんと沸き出してくるように、力が体のすみずみまで行き届く、今生きているという感覚。先生が「今日はたくさんお茶を飲んだから、もしかしたら眠れなくなるかもしれない」と言う。「でも、すべてがあなたの力になる」と。

私は男性に遠慮がちに「このお茶はすごく特別なものだと思います。私にはふさわしくないと思うのですが、おいくらか聞いてもらえますか」というと男性は先生に通訳してくれた。聞いたところ、それは言葉を失うほどに高価なものだった。そもそもそんなお茶を飲ませてくれたことに驚いていると男性が「先生は最後から2番目のお茶にしなさいと言っています」と言う。飲んだ瞬間においしいと言い、あなたの顔が輝いていた。先生はちゃんとそのことを覚えてくれていた。1972年鹿谷(台湾南投県)の烏龍茶。付け加えると、それは私にも無理なく買える値段だった。

お茶屋さんを去るときに、私はこう言った。「さっき通りがかったのですが、どうしても気になって引き返してきたのです」というと、彼はいたずらっぽく笑ってこう言った。「知っています。二度目、あなたが店の前に立ったとき、先生は「迷っているようだ」と言ってドアを開けました。観光客はこの場所には来ません。縁がある人だけがたどり着きます。きっと縁があったのでしょう」と。私が「あなたが日本語でいろいろ教えてくれたおかげです。でないと何もわからなかったと思います」というと、それもまた縁ですね、と笑った。重たいドアを出て去るとき、先生がまっすぐ目を見て握手をしてくれた。店の名前の由来を聞くと「川の水は流れてとどまることがない。それはおそらく心も同じ」と。

 それから日本に帰り、次の旅に出たのが2016年の6月のこと。「喉をひらくお茶」という言葉をもとに、私たちは一つの旅を計画した。お茶に関する本を調べていくと、茶の原産地は中国・雲南省の南西部、西双版納だということがわかった。雲南の山の中には樹齢数百年もの古樹茶があり、肥料はもちろん農薬も使わずに、少数民族の人々が手作りする“普洱茶(プーアル)”があるという。そして、茶の原産地である雲南や四川からチベットにかけて3000km以上に渡ってつづく交易道・茶馬古道(別名ティーロード)の一部を歩いてみたいと思った。1000年以上前から存在したという交易道。チベットではバター茶が好んで飲まれるが、茶葉は育たないため、馬や薬草、毛皮などと茶が交換された。茶馬古道は、茶を馬の背に積んだキャラバンが西双版納からチベットまで2、3か月、ときには半年もかけてはるばる歩いた道だ。その道のりはとても厳しい。金沙江、メコン川、サルウィン川と3つの名だたる大河の激しい源流と5、6000m級の山岳地帯がその道を阻んでいる。

 まさか私たちが「喉をひらくお茶」なんてものを見つけられるなんて思って旅に出たわけではなかった。でも知らない町を歩いてみて、どうしても気になるものが見つかり、そのものの前に立てば、目の前に風を感じながら、またドアが開くようなことがあるかもしれない。私たちはなんとなく茶馬古道沿いに(とてもざっくりとしたルートで)中国雲南省を旅した。ただ知りたいことに忠実に、そして大事なことを見逃さないように。

序文ここまで。

写真は雲南省の少数民族の家にて、昔ながらのやり方でお茶を飲ませてもらっているところ。基诺族(ジノ)の民家にて。  

https://www.amazon.co.jp/Snip!-中国雲南省-喉をひらく旅/dp/4990838017

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