クルマをどうしよう7 考察終了

2/10に登録から6年目を迎える12ヵ月点検を受けさせてきたマニュアルのミニ。前年同月に車歴3回目、オウナーとして2回目の車検を取ったのち、ブレーキパッド&ディスクの全交換とバッテリー交換を経て、今回の点検までに40万円超の維持費を計上しました。年次内に点検2回を含ませてますので不公平な総括ですが、カレンダー上1年以内での出費です。

その場に販売中の中古車が展示されていました。2021年式のクーパーS / 3doorで、限定仕様のPaddy Hopkirik editionというものです。1964年モンテカルロラリーにおいて、ブリキ缶と揶揄されるオースティン・ミニが伝説的な初優勝を飾った立役者、そのドライバーを記念したトリビュートモデル。ミニ2度目のLCI(マイナーチェンジをこう呼ぶらしいです)の直前、中期型の終わりに属する仕様です。

2週間後に60回目の誕生日を予定している私にとって、生年を祝してくれている錯覚を覚えました。9月で完済できるし、維持費が嵩み始めて痛いなぁと、まさにその邂逅の数分前に実感したものですから、俄に乗り換え衝動が涌いたのです。Paddy Hopkirk editionはビジュアルが最高に好きで、実を言えば、今も作業しているこのiMacのデスクトップに、オフィシャルショットのいくつかを気分で替えながら貼り付けて、この3年以上の月日、もはや意識に上らないほど目に触れさせてきました。その実車が目の前に忽然と現れたのは、天啓ではないかと信じたくもなります。画像で知る以上に、そのディテールが琴線に触れました。

あらためてこれらの動画を掘り返したとき、不覚にも涙が出そうになりました。「1964年」とは東京オリンピック、新幹線だけでなく、どの世界にもメモリアルなことが起きた、時代の分節点のような印象を持つのは、単に私の生年であることがそう思わせる自惚れでしょうか。

英国のザ・ビートルズや映画「007」シリーズの登場は前年まで遡るけれど、全世界に旋風を巻き起こしたのが64年と言えるかもしれません。音楽界のできごととして、創立者レオ・フェンダーが会社をCBSへ売却した年としても知られています(一般的に1965年製以降からをCBS期、64年製はプリCBSと言われます)。カルチャー的にも、独特のアイコン性を持つような年号。

Paddy Hopkirk editionのベース車両はCooper Sグレードのみで、日本向けに3doorが120台、5doorが80台販売されました。当時登録された車両が、今年前半に初回の車検を迎えつつあり、ちらほらと中古市場に現れてきていますが、街中で走っているのを見かけたことは無く、極めてレアであることに間違いありません。

所有しているCooper S / 6MT(3door)に不満を持つとすれば、1. 燃料満タンからの航続距離が短い、2. 荷室の前後長があともう少し欲しい、3. 体調が著しく悪いときにクラッチペダルを踏むのが辛い、という3点に絞られます。その他諸々は満足しており、採点するなら97点を差し上げることができます。

100点は無いと思っているので、以上の3ポイントのいずれかを解消し、97点以上を挙げてくれれば乗り換えは正しい判断と言えます。

展示されていたPaddy Hopkirkの3doorは1、2の欠点を継承し、3のみを変更します。いえ、世代交代でナビがタッチパネルになってるメリットはあります。しかしシートヒーターが無くなり、敢えて付け加えればレザーシートでもない。その辺りを勘案して、バックストーリーにロマンティックな幻想を抱かねば96点といったところ。3を解消と言ったけれど、マニュアルで運転する楽しみを味わうことはできません。MT→DCTは加点・減点ともにあり、プラマイゼロです。

航続距離を伸ばすにはディーゼルにするしかなく、荷室を伸ばすには5door必至。ガソリンのPaddy Hopkirkでも5doorならば、97ポイント与えられ、乗り換えの名目が立ち、あるいは論理的に進むべきはDかSDのどちらか、という話です。

この物語は7回に渡って繰り広げましたが、思いの丈を書き捨てることで漸く精神の安定を取り戻すことができた気がします。車両入れ替えは急ぎません。いままだベストの選択肢が机上に載っていないことを冷静に受け止め、ここで筆を置きたいと思います。長々おつきあいありがとうございました。

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