棚卸しならぬ棚入れ

5月初日ということで1年の1/3は終了したことが意識されます。2021年は2020年よりも、さらに停滞の1年になるのでしょうか。年初から緊急事態宣言の発令、そして今また2度目の宣言下にいて、気楽さの極みと自認した私自身にして、ここしばらくは落ち込んだ気分から中々脱することが出来ないでいます。

なんというか、少ない機会で他者と会話するとき、内面に積もったイライラが滲み出ているのではないかと危惧し、反省します。しでかしたことを悔やみ、向上に生かそうとするのは自然ですが、もしかすると何もしていないのに、良からぬ結果を引き起こしていながらそれに気付かないでいるのではないかと自身の行動を疑いにかかっているわけです。やってしまったんじゃないか。相手を傷付けたのではないか。それは、抱えているネガティブイメージを自覚するからこそ、取り繕うことに失敗していることを恐れている状態です。

仕事が忙しく、疲れているときに出る症状とも言えますがが、差し迫る苛烈なスケジュールとは無縁なゆるゆるの毎日を送る中で生まれる感覚としては初めてのものなので、戸惑います。どうやったら抜けることが出来るでしょう。何かに夢中になれればいいのでしょうか。生産性を復活させられれば落ち着くでしょうか。とりあえず生きる環境を整えることに、今の時間を使っていきます。

というわけで、旧家にいたときは、図書、音楽・映像メディア、道具類が、子供の頃から未整理のまま蓄積し続ける状態を放置してきたため、実を言えばそこでも限界まで息が詰まりそうにはなっていました。住宅を取り壊す計画が昨年の2月に確定し、それからの日々は残すものと捨てるものの分別に勤しみました。その上で、持ち越す荷物の収納できる新居の広さを計算し、立地と家賃を加味して、東京・神奈川全域の物件を検索した結果に現れた3軒から、利便性を重視してこの家に決めました。

賃貸ですから終の棲家にはなり得ませんが、ここにずっと暮らしたいと思える満足感には時の運へ感謝するしか有りません。しかし、持ち込んだ荷物を最適に配置するには、その後に発生する事案によって気力が削がれてしまいました。コロナと無関係ではありませんが、緊急事態宣言と直接関わる案件ではないものの…、やり遂げられずにいたわけです。

単純に言ってCDを棚にしまう、あとはただそれだけのことでした。図書類・ペーパーの資料は1年前のGW頃にはIKEAで売っている安い棚を壁2面で天井までそびえ立たせた中に並べ終えています。CDラックはインテリア配置を勘案して中々決めることが出来ず、とりあえず一つ買い、やがてもう一つ買って組み上がりました。あとはダンボールから外へ出し、できるなら少なくともジャンル毎には棚板を変えて並べるだけ、というところまで来て、その先が進まなかったのです。

一応、本日で大半の作業を終え、あともう一息で完了が見えています。めでたいです。中身のないCDのケースだけとか、ケースのない中身だけのCDとか多々ありまして、修正するところまでやりたいのは山々ですが、そこはたぶん放置でしょうかね。アーティスト毎に並べたかったですが、ブラジル音楽のところでやったことを、引き続き男性ボーカル・女性ボーカル・コーラスグループのところまで行って力尽きましたので、それ以外は今後リッピングもしながら進めようかと思います。

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