暮れの映画と雑記
2023年の12月30日にテレビ東京で放送された『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)はアテネ沖の海底地震によって発生した津波に呑まれて転覆した豪華客船「ポセイドン号」から、僅か6人の乗客が救出されるまでを描くアメリカ映画です。私は1974年公開の『タワーリング・インフェルノ』は映画館で観ていますが、本作は当時もテレビでのみ観賞しています。調べると1976年とのことで、これら一連のパニック映画を一通り経験はしたけれど時系列の順ではありません。
1970年代の前半は、このようなパニック映画が席巻し、巨大鮫の『ジョーズ』へ至る、多くの大作が生まれました。その先駆けと言われるのが『大空港』 (1970)、その第二作『エアポート'75』(1974)の方がポピュラーかと思いますが、偉大な作曲家アルフレッド・ニューマン最後の映画音楽としても知られています。
それらには挿入歌というか、劇伴以外にテーマ曲のようなものが与えられ、映画公開後にポピュラー音楽としてリリースされるなど、映画を出展とするヒットソングとなりますが、むろん、今ジャズのスタンダードナンバーとされるような楽曲がそれぞれ映画の主題歌であったことを思えば、太古から続くメディアミックスの構造を継承しているに過ぎません。
ポセイドン〜には、"Morining After"という主題歌があり、私はそれを久しぶりに聴いてみたくてテレ東の映画を年末に録画していました。当時、まだ小学生でしたが、そこら辺が洋楽への入り口となっています。テレビから流れる歌謡曲の類とはまるで意趣の異なる穏やかなムードに惹かれるものがあり、図書館で借りることのできる映画音楽を集めたLPレコードをカセットテープにダビングして、夜毎に飽きもせず繰り返し聴いたものです。それが下地ですから、ザ・ビートルズを知ったときも、むしろカーペンターズやサイモン&ガーファンクルに嗜好性が傾いたことをはっきり覚えています。やがてポールのウィングスはリアルタイムで、逆にザ・ビートルズへ嵌まっていくのですが…。
ちなみにポセイドン〜もタワーリング〜もジョン・ウィリアムズで、『大地震』(1975)『ジョーズ』(1975)『未知との遭遇』(1977)『スター・ウォーズ』(1977)、レイダースもETも、みんなそう。いずれちゃんと聴き直したいと思います。
テレ東の放送は大晦日の一日前。翌々日には北陸地方に大地震が襲い、津波を起こしています。その明くる日、炎上する日航機から乗客乗務員が決死の脱出を行います。ポセイドン・アドベンチャーの舞台は大晦日からカウントダウンのさなかに事故が起き、だから年末の放送となるわけですが、それを不吉な予兆と捉える人は皆無でしたでしょう。元旦より衝撃的に厳しい年初となり、その災禍によって今も苦しむ人々が大勢いらっしゃることに心が痛みます。
ポセイドン・アドベンチャーは1969年に出版された同名の小説を映画化したものです。映画は後のリメイクも含め4度。回を増すごとに酷くなっているらしいのですが、ヒットした初作も当然、登場人物の設定など小説からの改変は行われています。
今、私は全てのテレビドラマや映画へ接するたびに、原作の有無や、脚本によって作者の意図が損なわれていないかを気にするようになってしまいました。以前でしたら、形態が異なれば独立した一作品として楽しむ姿勢で対峙できましたが、それが二次作品であるとするならば見方を変えなければならないと感じるように変わりました。しかしそれは事前情報をいつ認知したかにも関わり、最後までそれと知らない場合もあるわけです。
映像作品を予備知識無しに観て良きと思えた場合にも、それが二次作品であり、作家の表現したいものではなかったとしたら評価を変えなくてはなりません。その手順を踏むことに、視聴者としてどんな意味があるのだろうと考えます。やはり正しくは、そのもののみにおいて評価を下し(良かったとか、つまらなかったとか)背景事情とは切り離す必要があるかと思います。
しかし背景事情を知ってしまい、グレーであるとわかったとき、その評価を覆すか否か。作品そのものには罪が無い、と言えるのかどうか。まだその辺りは定まった見解を持てずにおります。芦原先生のご逝去は、とにかく、ものすごく大きな衝撃として、我々のような一般視聴者にすら多大な影響をもたらしました。いえ、エンターテインメント業界の末席に居る者として、大きな大きな課題を置いて行かれたと受け止めざるを得ないのです。