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【小説】死出の山のぼる

再録小説です。

フィクションです。実際の人物事件その他には関係ありません。

以前某サイトに投稿した直後くらいに類似した事故が起こりまして、以降なんとなく気になってしまっていつまでも直視できない作品です。この場を借りてお焚き上げ。



◇   ◇

 この世のどんな霊峰よりも高い高いお山を、ちいさなこどもたちが一列になって歩いてゆく。
 暗い山道は800里にもなったが、こどもたちの枯れ枝よりも細い膝、やわらかな足裏は、疲れなど知らぬのか、幼稚園で教えられた楽しい遠足の歌を口々に、うねうねとした峰を上へ上へと昇っていく。
 いったいいつから登り始めたのか、こどもたちは覚えていない。
 ただ、登らねばならぬことだけは知っている。
 昨夜残したにんじんの味、眠る間際、あたまを撫でる母親の掌、朝、玄関先でキスをした父親の冷たい頬、そんなものが、生まれてから今日に至るまでの、たくさんの記憶の中で、あぶくのように浮かんでは消えた。そのどれもはこどもたちの足取りを止めるものではなかった。
 母の用事に連れられて、乳母車から抱き上げられて、己の足で固い地面を歩んでいれば、スーパーへ行って郵便局へ行って、なんてしているうちに、いずれは疲れ切って母親の腰に縋り付いて、抱き上げてくれと泣いたものだけれど、(母親のやわらかな髪や胸元に顔を埋めて泣いたものだけれど)、どうしてか、このお山を登っているあいだ、こどもたちは疲れなんて感じずに、どこまでも登ってゆくことができた。
 ここにはごうう、と音を立てる車たちも、背丈のおおきな人びともいない。夕陽の射し込む歩道橋も、かわいい犬もいない。こどもたちはどこまでも上へ上へ、一本道をひたすらに登っていけるのだ。
 ただ、時折、胸のあたりに、ぎゅうと締め付けられるような、夜更けに目が覚めて、隣に横たわる母親が眠っているのを見付けた時のようなさみしさがよぎった。そうした時には、こどもたちは順々に背後を振り向いたが、はるか下方に見えるあたたかな光、いつか家族と友達と住み、これから育つはずだった町は、もう帰り方も分からないくらい遠かった。

◇ ◇

 お山を登り始めるとき、しろく澄んだ天から降りた、とてもきれいなお方が、「かわいそうに」と涙を浮かべていたことを、こどもたちはうっすらと覚えていた。
 テレビで見るどんな芸能人や、アニメに出てくるどんなヒーローよりも、きれいなそのお方は、左手に持った壺の蓋をそっと開けて、こどもたちの傷に塗りつけた。良い香りがする軟膏を塗りつけられると、こどもたちの陥没した頭、骨の剥き出した膝小僧、引き千切られた腕はみるみるうちに治っていき、それまで感じていた痛みや恐怖心も、毛布に包まれた夜のように、すっかり消え失せてしまったのだった。
 とてもきれいなお方は、こどもたちが元気いっぱいに跳ねまわっても、それでも悲しげなお顔をしていた。これからはじまる長い長い旅路は、如来の住む極楽浄土よりもはるかに遠く、心や身体の病から救ったとて、逃れられない早すぎた死を彼らはどう知ることなく歩き続けていられようか。純心で、まだか弱く、生を祝福され愛を一身に受けたこどもたちの、そのやわらかな身体を、もう抱き上げられぬ両親の姿を思えば、身が引き裂かれるような悲しみは途絶えはしない。このような不幸な死というものは、どんな時代になっても変わらず悲しいものであった。
 おいで、ととてもきれいなお方は、施無畏印を結ぶ手をひらいて、こどもたちを導いた。しらじらとした土の向こうには、色とりどりの曼荼羅が横たわっていた。
 こどもたちがはじめて見るそれは、この世のどんな曼荼羅よりもうつくしく、ありとあらゆる世界のすべてが記されていた。位の高い御坊でも、善行を積み死さねば辿り着けぬ、おごそかな曼荼羅は、こどもたちの眼には明々と咲き誇る花畑に見えた。描かれる仏はさながら大輪の花々で、やわらかな眼差しは、傷つき冷たくなったこどもたちにやさしく注がれた。やがてこどもたちは、「おとうさん!」「おかあさん!」と口々に叫んだ。おだやかに描かれるその人びとは、こどもたちがだいすきな人びとによく似ていた。
 頬擦りをし、抱き寄せる曼荼羅の、幾重にかさなる愛の深さは、こどもたちに安堵を与えた。きれいなお方は、ああ、この子らをまっすぐに連れてゆける場所が、描かれるままのやさしい浄土であれば良いのにと思わずにはいられなかった。けれどもこどもたちがこれから登るのは、行灯もともらぬ真暗な山。おおきな山を下ったとて、辿り着く河原の、わびしさを思えば幾世を巡ったこのお方も、涙を流さずにはいられない。ほたほたと流れ落ちる雫からは次々に極楽浄土の花が咲いた。
「さあ、ゆかねばならないよ」
 やがて、名残惜しそうに抱くこどもたちから曼荼羅を引き離して、きれいなお方は山道のはじまりへと導いた。きらきらと輝く曼荼羅は、このお方の、ほんのわずかばかりの慈悲であった。けれどもそのおかげもあって、こどもたちの頬は日差しのように明々と萌え、一様に微笑みを浮かべてお山を登り始めたのだ。

◇ ◇

 ごうん、ごうん、と、耳鳴りのように響くのは、生まれる前、胎内で聞いた母親の心臓の音のようだ。やわらかな皮膚の裏側を蹴り、もうすぐ会いにゆくよと母に呼びかけて、やっと生まれた十月十日の果て。こどもたちが祝福を覚えていたのはほんのちいさな赤子であった時代だけで、いつだって無償の愛を忘れて、母親を困らせてしまっていた。こどもたちがその愛の深さに気付くのは、きっともっと大人になってからだったろう。けれどもすでに断ち切られてしまったいのちの果て、こどもたちはようやく山頂にたどり着いて、歓声をあげた。
 見れば、はるか下界にひかる灯は、もう手を伸ばしても届かないほど彼方で、こどもたちはくだり道に差し掛かれば、お山のてっぺんの陰に隠れてあの灯が見えなくなるのだと悟った。不意にさびしさを覚えて、こどもたちは顔を見合わせた。とどまってはならない、向こう側へ降りなければならないのだとはようく分かっていたけれど、そうすれば見えなくなってしまう灯がなんとも惜しいものだ。
 子らは、最期に見たものを覚えているだろうか。春の終わりの、からりと乾いた初夏の風。遠足をするこどもたちの、吹き飛ばされそうな帽子のきいろい紐。汗で濡れたちいさな手をつなぎ合って、歩む道路の端。叫び声をあげる保育士を覚えているだろうか。目も眩むほどまばゆいトラックの明かり、耳をつんざく急ブレーキの悲鳴、こちらに向かってくる巨大な鉄の塊を。母親の膝下で遊んでいたおもちゃの車よりも、もっと大きくて、もっと痛いものを。
 けれどもこどもたちは、帰り道がわからない。見れば戻る道は掻き消えて、ただ暗闇が広がるばかり。風の前のともしびのように揺れる、いきものたちの光には、たどり着けないのだとわかっている。うすらと白く透き通る肌、声にならぬ歌声も、母親の、父親を呼んでも届かぬ名前も。
 こどもたちはやがて、先程とはうって変わって肩を落とし、とぼとぼと山を下り始めた。振り向いても見えなくなる灯の向こうで、母が、父が己の名を呼んでいる。咲き誇る菊の花、白と黒で出来た狭い室内、坊主のとなえる退屈なお経のわびしさが、やがて暗闇に掻き消えた。


◇ ◇


 お山を下っていくと、ほのかにあたりが明るくなっていった。花火のように咲く赤々とした花が立ち並ぶ花畑を、こどもたちは手をつないで泳いでゆく。自分の身体をかわるがわる撫でる、父と母のやさしい腕の感触が、頬をくすぐる花の鱗粉のようにゆらゆらと揺れる。
「パパとママと一緒に、ここへ遊びに行きたいなあ」とこどものうちのひとりは思った。おにぎりとお弁当を持って、休日のハイキングへゆくのを夢に見た。父親の運転する車の後部座席に乗って、帰りは疲れて眠ってしまっても良い。そう、いつだって疲れたら眠ったら良いのだ。誰かがおぶさって連れて帰ってくれるのだから。
 けれども花畑はすぐに終わってしまった。眼前にはおおきく唸りを立てる川がある。ごうごう、と、勇ましい音を立てて飛沫が立つ。ふと、こどもたちが足元を見下ろすと、ごつごつとした石や砂が棘のように足の裏に突き立っていた。「痛い!」やわらかな足はひとたまりもなく、傷つき血がにじむ。こどもたちはずっと息をひそめていた苦しさや痛みを思い出して、わんわんと泣き始める。
 どうしてこんなところにいるのだろう―――分かるはずもない。大きな山を越えたのに、褒めてくれる人もいない。位牌に縋り付き涙する母の声、戻って来て、どうして、どこへ行ってしまったのと、つんざく嘆きに言葉を返せぬのが、どうしてこんなにさびしいのだろう。
 おうちへ帰りたい、と、振り向けど、広々とした花畑の向こう、もう越えてきた峠も見えやしない。お互いの掌をきゅう、と握り締め、こどもたちは蹲った。ここは薄暗く、また寒い。迷子になった時は動いてはいけないよ、と、言った母親の教えを守るように、身を寄せ合ってちいさくなる。
「ママ、ママ」「ママ」とこどもたちは呼びかけた。けれどもそのかすかな声も、川の立てるおおきな水音、花の身体をゆらす、さよさよとした音にかき消され、もうずいぶんと遠くなってしまった。

◇ ◇

 どれだけの時間が経っただろう。こどもたちの手足がすっかり凍り付いてしまったとき、そばに、やさしい微笑みを浮かべたお方が立っていた。
 手招くその人の顔をじっと見つめていると、それは、すこし怖いけれど温かい母親や、たまに遊んでくれるやさしい父親の顔にようく似ている。片手に持った錫杖がしゃらり、しゃらりと音を立てる。それは母親が歌ってくれる子守歌にようく似ている。
 こどもたちはその人の袈裟に触れた。やわらかくさらさらとした布を握り締めると、ゆっくりと川べりに向かって歩き出す。みれば、自分たちとよく似た、すきとおるこどもたちが、どこまでも続く河川敷にいて、遊んだり、お歌を歌ったりしていた。かくれんぼ、かけっこ、はないちもんめ、こどもたちの幼い笑い声が、まっくらな川の中にこだまする。
 地平線のかなたまで満たされたこどもたちの中に入ってしまえば、もう、これまで共に歩いていた友達も見失ってしまい、すきとおるこどもたちはみな顔を見合わせて、あたらしく増えたお友達を歓迎した。誰かがさみしいと泣けば、走り寄ってきた他のこどもたちがその子を抱き締めて慰める。誰かがつまづいて転べば、みんなが駆け寄って起こす。齢わずかなこどもたちが、そうして孤独の鬼を避けて、寄り添っているのだ。
 山を越えたばかりのこどもたちはすっかり安心して、ともだちの輪の中へ入っていく。ひとりだけ、灯を忘れられないこどもが、そのお方の袈裟を引っ張って、「ママはどこ?」と問うた。
 そのお方は微笑みを浮かべた。
「いずれ迎えに来るよ。おまえに会いに来るその日まで、けっして忘れぬよ。おまえを愛しているよ、父も母も、おまえのことを、ただおまえだけを、いつまでも愛しているよ」
 それを聞いて、あの子は安心したように笑って、こどもたちの輪の中へと駆け込んでいった。


◇ ◇

 ―――〇日、●●県××市内の市道で、走行中のトラックが斜行し、道路左側を歩いていた幼稚園児の列に突っ込む事故が起きた。この事故で△日までに園児×人が死亡、引率の保育士を含む○人が重軽傷を負っている。


◇ ◇

 まばゆい陽の下に、置かれた花束が萎れてゆく。あの子が好きだった紙パックのジュースや、あまい砂糖菓子に蟻が這う。遠い三途の川の子らの腹は空かぬ。いずれ迎えに来る両親を待つ、こどもたちの歌が聞こえる。









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