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急な予定変更というものがどうにも苦手だ。予定を遂行するというだけでもとんでもないミッションの緊張感を抱いているというのに、決まっていたはずの、心構えできていた筈の事柄が変わってしまうと悲しいほど狼狽えてしまう。
ずっと未来を予見しては苦しんでいたゴミクソ嫌案件が直前で予定変更し、しかもその変更内容を私が問い合わせてはじめて発覚するというまるでまるでゴミな事柄が起こってしまい頭を抱えていたら夜になった。この世に多数の人間が存在し、折りなし社会を形成している以上、予定が狂うことは至極当然とも言えるのだが、だからと言って飲み込まなければならない不条理の苦いことよ。錯乱し頓服を飲みバブバブと地面を這いずり回ってしまった。南無。社会は不確定によって形成されている。こんな場所でどうやって生きていけば良いのだ。エーン

ところで先月からジェルネイルをやってみている。ずっと気になってはいたのだが処置の為にお店に行く勇気が持てず時間が経ってしまったのを、信頼できる人間や信頼できるお店などでガチガチに固めて挑戦した。
結果的にはとても良い時間が過ごせていると思う。まず自分の指先にキラキラとしたものがあるというだけでなんとなく気分は盛り上がる。しかもそれが自分で行うよりも美しく、また固い為に何週間か経過しても保持されているのである。爪をあまり伸ばしたことがないので長くすることによる危険性を懸念していたが、厚みが増して丈夫になった分さして違和感はない。
朝憂鬱のなか目が覚めて、ふと爪を見ると心が少しだけ安らいだりする。手持ち無沙汰な時はつるりとした表面を撫ぜる。確かにお値段は張るが、一か月に一回のご褒美としては生活費を削ってもやって良いなと思える。いままでの仕事はネイル禁止であったのだが、現在はそれが許されている環境なのでひと段落するまでは毎月のご褒美的ポジションにいて頂きたいと考えている。

良いのはそれだけではない。私は抜毛症や爪を噛んだり肌をかきむしる癖があるのだが、それが心なしか少しばかり減ったような気がする。髪に手を当てた時の固い感触や、生爪とは違う肌触りに、すこしだけやる気が削がれてしまうのだ。衝動がなんらかのストレスの発散である以上、この先も減らせていけるかどうかはいささか不明だが、思いがけない良さみポイントであったことは間違いない。


今日、突然の予定変更に泣きながら病院へ赴き、待合室でふにゃふにゃしていると隣に座っていた老婦人が爪先を指さして「きれいねえ」と微笑んでくださった。

その後の今日も辛いことが何度か続いたが、その老婦人の微笑みは今も私の心をぽかぽかと温めてくれている。
人間も社会も怖いので常に外出は恐れながら、全方向にアンテナを張り巡らせながら執り行うものなのであるが、先の天草旅行やこの老婦人のように好意的な、やさしい感情に巡り合うことが時折ある。この幸福感の積み重ねで、不確定への寛容を、不確定な出会いを楽しめるようにならないものだろうかと願った。




でも社会人として「連絡してませんでしたっけ~?あれ~?そうっすか~」みたいなのはどうかと思うんですよね…信用…信用がさあ…

日々のごはん代や生きていく上での糧になります