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キョウチクトウとオレアンドロ

詩人 森山恵の「花の話法」を読んだ。「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」という田村隆一をひっくりかえして、夾竹桃が言葉にひろわれてゆく。キョウチクトウはイタリア語でオレアンドロ(Oleandro )。そういえばチェレンターノの歌にこんな一節があった。

Cerco un po' d'Africa in giardino, tra l'oleandro e il baobao

Azzurro (1968) 

庭にあるオレアンドロとバオバブのあいだにアフリカの面影を探ろうとしたのは、幼い頃のチェレンターノ。夏のヴァカンスシーズンで人影のない都会にひとり残され、子どもの頃のようにアフリカを夢見るのだけれど、おめあてのライオンは見つからない。そんな意味だ。

ここにバオバブと並んで登場するオレアンドロとは、おそらくキョウチクトウ科のニチニチソウのこと。アフリカが原産、美しい赤い花を咲かせるが毒がある。その名もオレアドリン、死亡事故も報告される猛毒だ。

しかしニチニチソウは薬用植物でもある。欧州では古くから間民間療法で糖尿病に用いられてきたというけれど、最近では抗悪性腫瘍作用が見つかっている。調べてみるとビンクリスチンという薬が抽出されているというのではないか。

なるほどファルマコなのだ。毒にして薬でもある。ひとつ間違えると致命的だが、適量なら命を救う。だから花言葉は「危険な愛」。なるほど中島敦が『夾竹桃の家の女』に記しているとおりではないか。

しかし森山恵のキョウチクトウはどうなのか。赤からやがて黒く染まってゆく八月の爆心地のキョウチクトウ。ぼくもまた八月の母の命日が近づいていると、あの「太った男」と「背の高い少年」がやらかしたことを思い出さずにはいられない。

あのデブとヤセのバディから吹き上がったキノコの雲。そいつを無邪気なミームに捏造して、ピンク色に染め直そうとする輩たち。それをイノセント(in-nocente)と呼ぶには、ぼくらは言葉を知りすぎている。その否定の接頭辞 in- はもはや削り落ち、残っているのは nocente だけ。イタリア語にすればヌオーチェレ(nuocere)、「物理的、精神的な害を及ぼすこと」。

キョウチクトウあるいはオレアンドロ。この美しい毒のある花のことをぼくらはもっと言葉に拾い集めてゆこう。そして拾い集められた言葉を繰り返しながら命を吹き込み、あの忘却の霧に抗ってゆこう。

「花の話法」が拾ってくれたキョウチクトウに、ぼくはそんなことを思っていた。