6/5 犬いた〜

花1.5倍のジャスミンティー、今日は4本買ってやはり夕方までに飲み終わった。花6倍だ。水よりも飲みやすくてスイスイ飲んでしまう。
だが同時に不安になってきた。俺は本当にこのジャスミンティーが好きなのだろうか?それともただジャスミンティーを飲んでる自分が好きなだけなのだろうか?花の倍率という意味のない数字に気を取られて大切なものを見失っていないか?

犬を飼っていて良いことの一つに、「犬いた〜」の瞬間が一日に何回か訪れるということがある。トイレに行って戻ってくると犬がいない。「あれ、犬どこ?」と思って見回すと机の下で寝ている。これが「犬いた〜」の瞬間だ。小さめの不安と安堵が日に何度か訪れるのが良い。タバコを吸う人はタバコで頭がぼんやりするのとその後でニコチンが抜けてスッキリするのが気持ちよくて吸っていると聞いたことがあるが、それみたいなことだ。

今日は3週間ちょっとかけてデザインや開発をしていた機能をリリースした。見せ方とか細かい動きとかブラウザごとの対応とか久々に頑張ったやつなので作ってて楽しかった。俺は自分で開発した機能やデザインを動かしているときマッドサイエンティストみたいな感じで「美しい…」と思いながら操作している。そういうタイプだ。

もう3年ほど今のシステムを使って開発しているが、自分が本当にやるべきだった仕事について最近よく考える。会社にコード書く人が自分しかいないこともあって、今のところ日々のサービスの変化に応じた細々とした仕事に追われている時間がかなり多く、例えば開発環境をめちゃめちゃ早くしたり自動テストを整備して業務の効率をバチクソ上げるとかそういうことをもっと早くしておけば、今まで大量の時間を無駄にすることもなく、もっと新しい機能とか好きなものの開発が進められていたのではないか…と反省している。(それに気づけるのも曲がりなりに手探りでエンジニア?っぽい仕事をやってきたからというのもあるが…)そういうことは誰もやれと言ってくれるような仕事ではないが、むしろそういうことこそエンジニアがやるべき仕事なのだろう。

エンジニアリングという行為の特殊な傾向として、うまくやれば成果がかけ算にできるというのがある。みんなが時間に追われながら足し算で頑張ってることを、かけ算とか階乗のやりかたに変換して解決して、あとから圧倒的な早さで抜き去るのがエンジニアリング的な解決のかっこいいところだと思う。問題は大抵の場合そんなことは誰もやってくれとは言わないところだ。目の前に迫っている課題をほったらかして今やらなくてもいい改善に勤しむというのはあまり真面目に仕事してる感じはしないし、実際にやってみたら掛けた時間に対して改善の幅が微々たるものだったというようなこともあるのでなかなか説明もしづらい。だけどそういう説明のつけづらい仕事をやらないのは、エンジニアとしての仕事をしていないと言えるのではないかと思うようになってきた。そういう「今やらなくてもいいこと」をいかにして今やるか。となるとやりやすいのは勤務時間外にぶっこむとか土日にねじ込むとかになってしまうので、それに楽しみを見いだせるかどうかが重要なポイントになってくる。俺は基本的にそういう仕事がけっこう楽しいので今後はもっと堂々とぶっこんで、やらなくていいことをやってる時間の割合を上げていきたい。

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